ハマモト経営の指針集 『論語』より

主要参考図書『論語新釈』宇野哲人著 講談社学術文庫

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「用を節して人を愛し、民を使ふに時を以てす。」

読み方「ようを せっして ひとを あいし、たみを つかうに ときを もってす」

(意味)費用を節約して国民を慈しみ、国民を使役する際には時間が空いているときにせよ。

→ 国は、国民によってなりたっている。

企業は、社員によってなりたっている。

国王は国民を慈しみ、社長は社員を慈しむものでなければ、全体が一つになることは無い。






「弟子、入りては則ち孝に、出でては則ち弟に、謹んで信に、」

読み方「ていし いりては すなわち こうに いでては すなわち ていに つつしんで しんに」

(意味)人の子弟(年少者)は、家庭では父母に尽くし、外では目上の人に尽くし、行いをつつしみ、うそを言わないようにせよ。

→ 日常の行動そのものが、修練となる。

今、日本の中で、家庭では父母に尽くせと言っている人は皆無に等しい。

家庭内で教育が行われないという現象は、国の中枢でも教育が無いことを現している。






「汎く衆を愛して仁に親づき、行うて餘力あれば則ち以て文を学ぶ。」

読み方「ひろく しゅうを あいして じんに ちかづき、おこのうて よりょく あればすなわち もって ぶんを まなぶ」

(意味)広く多くの人を愛して、思いやりのある大人物に近づき修養し、これらを実践してなお時間があれば、文書から学びなさい。

→ 現代は、まず「勉強、勉強」と机に向かわせる。

しかし、本来それは、「時間が余ったらやること」だった。

もともと、目の前の生きた教材から学ぶことの方が大切だと考えられていたのだ。人間教育のためには。






「君子は重からざれば則ち威あらず。」

読み方「くんしは おもからざれば すなわち い あらず」

(意味)リーダーは言葉や動作に重々しさが無いと、威厳が無い。

→ 現代は、軽薄短小の時代であり、総理大臣すら軽い。

つまり、リーダーが軽いことが、時代を表している。

真のリーダーは、鍛えられた精神の重さがおのずと言動に表れる。






「己に如かざる者を友とすることなかれ。」

読み方「おのれに しかざる ものを ともと する こと なかれ」

(意味)レベルの低い人物を友にして、自慢するようになってはならない。

→ 発展途上であるときに、自分より下を見ると成長しなくなる。

常に自分よりもできる人間を意識して模範としよう。

上を見るときりが無いが、自分という人間の成長もきりが無くなる。






「過っては則ち改むるに憚ることなかれ。」

読み方「あやまっては すなわち あらたむるに はばかる こと なかれ」

(意味)間違ったことに気づいたら、改めるのに躊躇してはならない。

→ 誰にでも間違いはあるが、問題は間違いに気づいた後だ。

上に立てば立つほど、自分の対面を気にするようになる。

素直に間違いを認め改めれば、傷は小さくてすみ、しかもさらに成長できる。






「終りを慎み遠きを追えば、民の徳厚きに帰す。」

読み方「おわりを つつしみ とおきを おえば、たみの とく あつきに きす」

(意味)上に立つ者が父母の喪に礼を尽くし、死後の祭祀供養を誠をこめて行えば、民衆の徳も厚くなってゆく。

→ 上に立つ者の行動が、下の者に対する教育となる。

例えば、上が顧客に手紙を書けば、下も同じように顧客に手紙を書き、常連客ができていく。

上が顧客の悪口を言えば、下も同じように顧客の悪口を言うので、サービスもそれにつれて悪くなる。






「礼はこれ和を用て貴しとなす。先王の道はこれを美となす。」

読み方「れいは これ わを もって たっとしと なす。せんのうの みちは これをびと なす」

(意味)履(ふ)み行うべきルールは、人と融和しながら行ってこそ貴いのである。昔の聖人であった帝王はこれを美しいとした。

→ ルールを杓子定規に適用してもうまくいかない。

かといって、融和することばかりでは、本当の和は無くなる。

よって、ルールは守ることと融和することは、バランスよく両方行おう。






「信義に近づけば、言復むべきなり。」

読み方「しんぎに ちかづけば、こと ふむべきなり」

(意味)約束したことが完全に正しくはなくてもそれに近づけば、その約束を実行してよい。

→ 最初から完璧を目指してもなかなか難しい。

完璧に近づけば、まずはそれでよしとしよう。

少しずつレベルをあげていき、いつか完璧になれるように努力を重ねよう。






「恭礼に近づけば、恥辱に遠ざかるなり。」

読み方「きょう れいに ちかづけば、ちじょくに とおざかるなり」

(意味)人を敬う行為が礼儀に完全にかなわなくてもそれに近づけば、恥辱を受けることにはならない。

→ 形式としてのマナーはある。

しかし、その形式を完璧に実行できなくても、敬う心があれば恥辱を受けることは無い。

形式をすべて完璧にはできないが、目の前の相手に常に誠をもって接することはできる。



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