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「十八史略」に学ぶ兵法経営【目次】

2.人間の本質と欲望編(基本)

権力と支配(1)穆王の馬車遊び


人生は、自分の思いどおりにいかないから
こそ面白い。

もしもすべてが予定どおり、計画どおりに
いったらどんなにつまらないだろう。

例えば、ギャンブルにはまる人たちは、
負けることがあるからこそ、
勝ちを求める楽しさに酔いしれるのである。

もしも、毎回、勝ち続けるとしたら、
だんだん興味が薄れていくに違いない。

私の知人に、パチンコで必ず勝つ方法を
見つけたという男がいる。

それならば、さぞ毎日パチンコに通い
つめているだろうと思いきや、彼の口から
出たのは思いがけない言葉だった。

「貴重な人生の時間をこんなことに
 費やしているのが虚しく思えて、
 もうやめました」

彼にとっては、勝つための法則を見つける
ための試行錯誤の日々が楽しかったようだ。

しかし、権力者のなかには、自分が絶対に
勝てるように力でギャンブルを操作する
ような人生を送る者がいる。

周囲の人間に対する支配欲を暴走させ、
言うことを聞かない相手を左遷したり、
暴力で叩きのめしたり、ひどい場合は
殺してしまったりするのである。

いかに相手を心服させるか、ということに
意を用いることなく、ただ権力を振り回し、
押さえつけるのみ。

物理学の「作用反作用の法則」(物体に
力を加えると、物体は同じ大きさの力で
押し返す)と同じく、権力者が対象を
力でねじ伏せようとすれば、同じ力が
自分に返ってきてねじ伏せられてしまう
のだが。

中国の長い歴史においても、
同じ失敗が何度も繰り返されている。

周(しゅう)王朝が起こってしばらくは、
王が徳をもって治める時代が続いた。

二代目の成(せい)王、
三代目の康(こう)王の時代については
天下が安らかに治まり、刑罰を用いない
まま四十余年が経過したのである。

ところが、五代目の穆(ぼく)王あたり
から怪しくなってくる。

巧みに馬車を御する造父(ぞうほ)という
者がいて、穆王に愛されていた。

八頭の駿馬を手に入れた穆王は、
造父に引かせて天下を遊びまわり、
至る所に馬車のあとを残そうと考えた。

西方の国々を巡幸した際、世間では、

「このとき王は西王母(せいおうぼ)と
 いう仙女と瑶池(ようち)のほとりで
 酒宴をもよおし、楽しんで帰ることを
 忘れた」

と言い伝えている。

この隙に、異民族の徐(じょ)の
偃(えん)王が反乱を起こした。

造父は王の御者となって急いで都に帰り、
反乱の鎮圧に貢献した。

穆王は楚(そ)国に徐を討伐させ、
徐は敗れた。

その後、穆王は西方の異民族である
犬戎(けんじゅう)を征伐しようとした。

祭公(さいこう)の謀父(ぼうほ)は、

「歴代の周の王さまは、徳を盛んにして民を
 心服させ、決して武力で押さえつけようと
 はしませんでした」

と諫めた。

しかし、穆王は聞かず、強引に征伐の兵を
挙げた。

結局、白い狼(おおかみ)と白い鹿を
四頭ずつ得ただけで、空しく帰ってきたので
あった。

これ以後、遠方の諸国からは貢物が届かなく
なり、諸侯も互いに不和になっていった。

穆王は最初、無邪気に馬車で遊びたい、
遠くまで行ってみたいと思っただけだった
かもしれない。

そこには悪意や征服欲など無かったのでは
ないか。

しかし、中国全体を支配している王が遊び
歩いているというのは、各地の諸侯の反発心
を生むだろう。

そして、それらを力で押さえつけることで
一時的な成功を得れば、徳ではなく力を
使った支配に喜びを感じるようになる。

王がそのようだと社会全体がそうなって
しまう。

穆王の馬車遊びから、周は徐々に不穏な
空気に包まれ始めた。

→続く権力と支配(2)民の口を塞ぐ」
「十八史略」に学ぶ兵法経営【目次】

 

 

 

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