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「十八史略」に学ぶ兵法経営【目次】

2.人間の本質と欲望編(基本)

富・財宝(2)煬帝の失敗


煬帝は、陳を反面教師として質素倹約に
努めればよかったのだが、
陳の華やかな文化に触れ、
逆にとりこになってしまった。

南北朝の時代、南朝においては
政治的には混乱したものの、
文学や仏教が隆盛をきわめ、
宋(そう)、斉(せい)、梁(りょう)、
陳(ちん)の四つの王朝に呉(ご)、
東晋(とうしん)を合わせ、
六朝文化と呼ばれる貴族文化が栄えた。

煬帝は、それまでに味わったことのない
きらびやかな貴族文化に
魅せられたのである。

そして、即位後、大事業に乗り出す。

まず洛陽(らくよう)の
顕仁(けんじん)宮を造営した。

その建築材料として、
長江(ちょうこう)から五嶺(ごれい)山脈
にかけての地方の奇異な材木や石類を
強制的に取り立てたうえ、
各地の珍しい木や草、鳥や獣を求めて、
これらによって壮大な庭園を
いっぱいにした。

次に、通済渠(つうさいきょ)という運河を
開き、洛陽の西苑(せいえん)という地から
穀(こく)水および洛(らく)水の水を引いて
黄河に通じさせ、さらに黄河の水を引いて
ベン水に入れ、ベン水の水を引いて
泗(し)水に入れ、それで淮(わい)水に
通じさせた。

また、人民を強制的に動員して
カン溝(こう)という名の運河を掘り割って
淮水と長江をつなぐ工事を行い、
運河のそばに帝専用の御成り道を作り、
そこには柳の木を植えた。

こうして長安(ちょうあん)から
江都(こうと)(今の江蘇〈こうそ〉省
揚州〈ようしゅう〉市)
までの水路の途中に離宮を四十数ヵ所も
設けた。

また、わざわざ江南に人を派遣し、
帝の御座船や各種の船数万艘(そう)を
つくらせ、帝の遊幸(ゆうこう)に
備えさせた。

洛陽の西苑は周囲が二百里もあり、
そのなかに人工の海をつくったが、
海の外周は十余里もあった。

その海中に仙人の住むという三つの神山、
蓬莱(ほうらい)、方丈(ほうじょう)、
瀛州(えいしゅう)を築いた。

その高さは百余尺もあり、
物見のための宮殿が並び連なっていた。

海の北側には水路があって、
曲がりくねりながら海に注いでいた。

水路に沿って十六の宮殿がつくられ、
その門はどれも水路に面していて華麗を
極め尽くしている観があった。

宮殿の庭園の木々が落葉する冬には、
色絹でつくった造花や葉を枝に飾った。

また、水面にも色絹でこしらえた蓮の花や
菱(ひし)、鬼蓮(おにばす)などを
浮かべ、色があせるとすぐに新しいものに
取り換えた。

煬帝は月夜を好み、
宮女数千人を従えて西苑に遊び、
「清夜遊(せいやゆう)」
と題した詩を楽曲にしたものを
馬上で演奏させて楽しんだ。

煬帝は、宮殿の造営、
地方の巡遊などを毎年、行った。

狩猟を好み、天下の鷹匠を
徴発(ちょうはつ)して一万余人を集めた。

大衆的な雑芸をする者を多数集めて宮城の
正門前で演じさせ、辺境の夷狄(いてき)が
来たときに見物させたが、
お囃子を担当する弦楽や笛を演奏する者が
一万八千人におよび、一ヵ月も続けて
演じさせた。

その費用は莫大な額に達したにも
かかわらず、これを毎年の恒例行事として
いたのである。

こうした生活のうえに、
遠方の高麗まで討伐に向かう軍を三度も
起こした。前二度は敗北を喫し、
三度目も完全勝利というところまで
いかなかった。

戦争にかかる費用は莫大であり、
人民の生活も窮乏し、盗賊をはたらくものが
後を絶たないという中、各地に続々と
反旗がひるがえった。

そしてついに煬帝は江都(こうと)の地で、
自分に随行してきた者たちに謀反(むほん)
を起こされ、絞め殺されてしまったので
ある。

陳(ちん)の国で見たあこがれの生活。

煬帝は陳の後主(こうしゅ)
長城煬公(ちょうじょうようこう)が
たどった道をなぞり、これを実現したが、
自分も長城煬公と同じように国を
亡ぼしてしまった。

いざ自分が富や財宝を手に入れられる境遇に
なったとき、どうするか? 

彼らの轍(てつ)を踏むべきでないことだけ
はハッキリと分かるだろう。

企業経営においては、
本社や社長室をやたらと立派にしたり、
社員のための休憩室を一流レストラン、
バーのような豪勢なものにしたり、
使いもしない什器備品をやたらと
買い揃えたりし始めたら黄色信号である。

確かにそれらの豪華さには、
人をやる気にさせる効果があるが、
その状態に慣れてくるとかえって慢心を
生み、ハングリーさを失わせていくという
短所がある。

さらに、業績が悪化したからといって
質素にすると、社員は不満を感じ、
愛社精神も社長への忠誠心も無くすことに
なってしまう。

やたらと飾り立てることの副作用は
予想以上に大きいのだ。

→続く不老長寿(1)秦の始皇帝」
「十八史略」に学ぶ兵法経営【目次】

 

 

 

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