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「十八史略」に学ぶ兵法経営【目次】

8.時代を読む先見と行動編

激動の時代に現れるチャンスと見つけ方(2)張儀の連衡策

一方、魏の人で張儀(ちょうぎ)と
いう者がいた。

青年時代、蘇秦と共に鬼谷先生を師と仰ぎ、
遊説術を学んだ。

かつて楚の国に遊説に出かけ、
楚の宰相から拷問(ごうもん)の侮辱を
受けた。

家に帰り着くと、妻が怒って文句をいった。

しかし、張儀は平気な様子でこういった。

「俺の舌を見てくれ。

 どうだい、まだついているかい。

 舌さえあれば大丈夫だ」

蘇秦が合従を成立させたとき、
蘇秦は訪ねてきた無職の張儀をわざと
ぞんざいに扱って怒らせ、
気づかれないように旅費が彼に入るように
配慮して、敵対する秦に向かわせた。

秦をけん制するために
張儀を送り込んだのだ。

無事に秦に登用された後、
事情を知った張儀はその恩に感じていった。

「蘇秦が生きている限り、
 私は彼に不利になることは何も言うまい」

しかし、蘇秦が趙を去って合従がこわれる
と、張儀は専(もっぱ)ら連衡(れんこう)
説を唱え、六国が皆、秦に服従するように
はかったのである。

秦の恵王のとき、張儀は秦軍を率いて魏を
攻め、その一邑(いちゆう)
(邑は地方都市、集落の意)を取ったが、
それをいったん魏に返した。

そうして魏をだまし、秦への詫(わ)びの
印として、秦にとってもっと価値のある
別の土地を割譲させた。

張儀は魏から帰ると秦の宰相となった。

しかし、やがて秦を出て魏の宰相となった。

これも秦の利益を図るために
したことである。

秦の襄(じょう)王のとき、
秦にもどってまた宰相となった。

さらにその後、ふたたび秦を出て魏の
宰相となり、そこで死んだ。

合従説を説いた蘇秦と連衡説を説いた張儀。

まったく正反対の考え方を諸侯に訴えた
二人が、実は裏でつながっていた。

二人とも、諸国の実情をしっかりと押さえて
おり、もっている情報を駆使して諸侯を説得
し、従わせたのである。

情報の少ない者は、情報をしっかりつかんで
いる者に翻弄されるのだ。

→続く「激動の時代に現れるチャンスと見つけ方(3)スパイの秦檜」
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