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「十八史略」に学ぶ兵法経営【目次】

8.時代を読む先見と行動編

激動の時代に現れるチャンスと見つけ方(3)スパイの秦檜

南宋の高(こう)宗の
建炎(けんえん)四年(西暦千百三十年)、
北宗当時の重臣であった秦檜(しんかい)が
南宋に帰ってきて、高宗のいる越(えつ)州
の行在(あんざい)所(巡幸中の仮の御所)
に出頭した。

秦檜は北宗滅亡時、金に連れ去られた
二帝(徽(き)宗と欽(きん)宗)に従って
金の都燕京(えんけい)に行っていた
のである。

秦檜は金にいたとき、
王族である将軍の撻辣(だつらつ)に
すがりつき、任用してもらった。

撻辣が金軍を率いて南宋に侵入したとき、
秦檜はその参謀として仕えたのだ。

あるときは撻辣のために檄(げき)文を
認(したた)めて漢(かん)人に呼びかけ、
山東(さんとう)の州都を金に降伏させた
こともあった。

このたび秦檜は、家族を引き連れて小舟に
乗り、南宋の漣(れん)水軍に到着したの
だが、自分ではこういった。

「金の監視人を殺し、
 舟を奪って逃げ帰ったのだ」

しかし、朝廷の人々には秦檜の言葉を
疑う者が多かった。

秦檜は、

「もしも天下の無事を望むならば、
 南は南宋が、北は金が
 その地を治めるべきである」

と主張した。

秦檜は高宗に、金の撻辣に手紙を送って
友好関係を結ぶよう、上奏した。

実は、これは皆、
撻辣の意向にもとづくものであった。

→続く「激動の時代に現れるチャンスと見つけ方(4)固定観念は亡国の基」
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