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「十八史略」に学ぶ兵法経営【目次】

7.権力者が陥る罠と組織の崩壊編

崩壊後に起きること…    (4)カク経の思考のあり方  


宿駅役人の見張りは牢獄よりも厳しく、
随行している者には苦痛に耐え切れない者も
出てきた。

カク経はそれらの者に向かっていった。

「命をかけてここまでやってきた以上、
 生きるか死ぬかはすべて南宋の人に任せる
 以外はない。

 しかし、節を守って屈しないかどうかは
 我ら次第である。

 どうして不忠不義な振る舞いをして、
 中国男児の名を辱めてよいものか。

 ただ、君らは気の毒である。

 死ぬほどの苦しみを耐え忍び、
 時節の到来を待たねばならない。

 今の状態を天の時と人のやり方の面から
 察するに、南宋が亡びるのは遠い先では
 なかろう」

一同はその言葉に打たれ、
みずからを奮い立たせた。

一方、南宋の理宗は元の使者が来ていると
聞いて、宰相や執政たちにいった。

「元の使者が来たならば、
 和議についてよく協議せねばならぬ」

すると賈似道が反対していった。

「今回の和議は元の謀略です。

 断じて軽々しく従ってはなりません。

 ただし、元が本当に隣国のわが南宋と
 交流を深めたいというのであれば、
 朝廷に入れて拝謁を仰せ付けるのも
 よろしゅうございましょう」

景定(けいてい)三年
(西暦千二百六十二年)、
元の王文統の命令で南宋に侵入した李タンは
南宋に帰順した。

カク経を陥れた王文統は、李タンと
通謀しているという罪で殺された。

元は李タンが治めていた済南(せいなん)城
を包囲し、降参してきた李タンを誅殺した。

カク経一行の南宋による監禁は十数年も
続き、元軍が南下した際に
ようやく救出されたという。

→続く「崩壊後に起きること…(5)賈似道の専横」
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