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「十八史略」に学ぶ兵法経営【目次】

7.権力者が陥る罠と組織の崩壊編

傲慢と短気(3)       口の軽さが命取りに   


南宋の寧(ねい)宗皇帝は子供が多かった
が、どれも育たなかったので、甥にあたる
趙竑(ちょうこう)を後継者としていた。

趙竑は賢かったが、軽率なところがあった。

かつて宰相の史弥遠(しびえん)が権力を
専らにしているのを憎んで、

「このまま許しておくことはできない」

と口走り、
これが史弥遠の耳に入ってしまったのだ。

史弥遠は、趙竑を廃する計略を企んだ。

史弥遠は、北宋の太祖、
趙匡胤(ちょうきょういん)の長子の子孫の
一人が優秀であるという情報を得、
この人物の人相書を回して見つけ出した。

彼に官吏の登用試験を受けさせ、
合格させた後、寧宗の特別の沙汰という
ことで官吏につかせた。

次に沂(き)王の後継ぎとし、
卲(しょう)州の防御使に任じた。

そうして寧宗の病気が進んで危篤に陥った
とき、史弥遠は寧宗の皇后を

「内乱の危機を防がねばなりません」

などとおどして、この者を皇子とし、
即位させた。

これが理(り)宗皇帝である。

趙竑は済陽郡王に封じられた後、殺された。

間違っていると思うことに憤るのはよい。

事なかれ主義よりもはるかにましである。

しかし、それを感情のおもむくままに口に
すべきか、じっと好機が来るまで待つべきか
については冷静に判断しなければならない。

趙竑はうかつにも、史弥遠を敵視している
ことを口に出してしまい、
即位することができなくなったばかりか、
殺されてしまった。

→続く「傲慢と短気(4)趙匡胤の素直さ」
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