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「十八史略」に学ぶ兵法経営【目次】

7.権力者が陥る罠と組織の崩壊編

傲慢と短気(4)       趙匡胤の素直さ   


北宋の太祖、趙匡胤(ちょうきょういん)も
気は短かったようだ。

雷徳驤(らいとくじょう)という者が、
刑罰を掌る大理寺(だいりじ)という役所の
長官となった。

ところが、そこの役人と宰相府の役人とが
手を結んで宰相の趙普(ちょうふ)に
取り入り、趙普の同意のもとに、
勝手に刑法の名目を増減していた。

雷徳驤は怒った。

ただちに講武殿(こうぶでん)に出かけて、
その非を奏上すると同時に、

「趙普は宰相の権力を用い、
 むりやり他人の邸宅を買い取ったり、
 賄賂を受け取ったりしています」

と申し立てた。

すると、これを聞いた趙匡胤は激怒して、

「黙れ! 鼎(かなえ)や鍋にも耳はある
 が、お前に耳はないのか。

 趙普がわが国家の重臣であることを
 聞いていないのか」

と叱りつけ、側にあった小斧(こおの)を
引き寄せて、雷徳驤の歯を二枚たたき折り、
臣下に命じて殿外に引きずり出させた。

その後、雷徳驤は低い地位に落とされた。

いくら趙普を大事に考えているとはいえ、
批判した者の歯を斧でたたき折るとは
尋常ではない。

相当、気が短い人物だったのだろう。

こんな趙匡胤が
なぜ名君と言われるのであろうか。

趙普は宰相として政務をとる際、
いつも大きな甕(かめ)を部屋の奥に
置いておき、自分の気に入らない上奏文は
その中に投げ込んで焼いてしまった。

趙普が世間から批判されるようになったのは
これが原因である。

今度は雷徳驤の子が趙普の悪事を訴え出た。

ここにいたってようやく趙匡胤は
趙普を疑うようになった。

これより先、趙匡胤は副宰相を置いて宰相の
趙普を補佐させる組織に変えたけれども、
これはまったく名前だけの役職であり、
天子の詔(みことのり)を公布することも
なく、百官の出欠を点呼することもなく、
宰相の印を保管することもなく、
政事堂に入って政務をとることもなかった。

このときになって初めて趙匡胤は、
二人の副宰相に命じて、
政事堂に入って宰相と共に政務を行い、
宰相の印を保管し、
百官の出欠点呼を行わせるようにした。

つまり、副宰相が趙普と同格になったのだ。

それから間もなくして、
趙普は免職となった。

趙匡胤は短気で、
一時的に感情で動くところはあったが、
その後に状況を客観的に把握すると、
過去の自分の過ちを素直に反省し、
新たに正しい手を打つことができたので
ある。

誰しも過ちを犯すが、
それに気づいたときに改めることは、
誰にでもできることではない。

こうした素直さを持ち合わせていたために
趙匡胤は名君となったのだ。

企業経営者にも短気な人は多い。

単に権力を握ったためにそうなったと
いうのではなく、その組織のなかの
最高責任者である点が原因として大きい。

一人の社員が誤った行動をすれば、
それが会社全体に影響を及ぼし、
最悪の場合は倒産に至ることもあるのだ。

社長の気がピリピリしてくるのも
当然である。

しかし、それによって会社を衰退させて
しまうのは本末転倒だ。

自分が短気だと気づいたなら、素直さを
併せ持つように努力しなければならない。

間違ったらすぐに反省し、
新たな手を打つことである。

→続く「崩壊後に起きること…(1)外患と内憂」
「十八史略」に学ぶ兵法経営【目次】

 

 

 

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