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「十八史略」に学ぶ兵法経営【目次】

7.権力者が陥る罠と組織の崩壊編

方向のあいまいさが命取りに(3)同盟破棄   


当時、淮(わい)水地方にいた南宋の将軍
趙范と趙葵(ちょうき)の二人は、
金が亡びたことに乗じて中原回復の計略を
立てた。

朝廷の諸臣らは時期尚早であると反対した
が、独り鄭清之(ていせいし)は
中原回復策を支持した。

そこで理宗は、趙范に命じて淮水から黄州に
移して軍事を担当させ、期限をきって兵を
北方へ進めさせた。

趙范の一人の部下が、

「ちょうど今、起(た)ち上がって来た敵の
 元が、我らと新たに盟約を結んで退いた
 ばかりです。

 その意気は盛んであり、矛先は鋭さを
 保っています。

 その元が自分の得た土地を捨てて人に
 与えようなどと考えるでしょうか。

 もしもわが軍が進めば、
 元軍も必ず応戦してきます。

 そうなったらわが軍は、
 進むことも退くことも出来ない苦境に陥る
 だけでなく、両国間も関係が悪くなり、
 敵兵から攻撃を受けるようになって
 しまいます。

 わが軍が千里のかなたまで進軍していき、
 何も無い空っぽの城を元軍と争うことに
 なれば、仮にこれを得ても、当然、
 兵糧の運搬に勤めねばなりません。

 後日、必ず後悔することになります」

と忠告した。

しかし、趙范はこの忠告を聴かなかった。

史崇之もまた、こういった。

「荊(けい)州の襄陽(じょうよう)地方は
 飢饉で苦しんでいる最中である。

 まだ戦争を始める時期ではない」

他にも軍隊を出すことの害を
述べる者がいた。

趙范と趙葵とは、もとの荊湖(けいこ)の地
の軍事担当官の子であり、
軍事に習熟していて宋の昔の土地を攻め取る
ことに熱心だった。

山東方面の忠義軍を募集したところ、
皆、響くように応じて集まってきた。

金の挟み撃ちの盟約を結ぶための南宋側の
使者が元から帰国しないうちに、南宋の軍隊
が出発してしまったので、使者らは
燕(えん)の地に抑留されそうになったが、
嘘をついて元の使者と共に帰国することが
できた。

→続く「方向のあいまいさが命取りに(4)元の怒りと衰えゆく南宋」
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