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「十八史略」に学ぶ兵法経営【目次】

7.権力者が陥る罠と組織の崩壊編

方向のあいまいさが命取りに(4)元の怒りと衰えゆく南宋   


元の使者は、

「どうして盟約を破るのか」

と詰問した。

それ以来、淮水と漢水の両川に挟まれた地域
は、安穏な日はまったく無くなった。

南宋の出兵後、数日もたたないうちにベンの
人たちは城を明け渡して南宋に従ったので、
宋の軍隊はやすやすとベンに入ることが
できた。

そしてすぐに洛陽に向かった。

洛陽を守っていた元の兵は少なかったので、
一時的に南宋軍を避けて退却した。

南宋の軍隊は洛陽に入城したが、
数日のうちに食糧が絶えてしまった。

元の新手の兵隊がまさに大挙してやってくる
と聞いて、南宋軍は総崩れとなって
逃げ帰った。

「こうなったのは、史崇之が和議を主張して
 兵糧を運ぶことを承知しなかったせいで
 ある。

 結果的に国の大事を誤ることに
 なってしまった」

と、人々は史崇之を咎めた。

こうして南宋と元との和議はもはや二度と
成立しなくなり、蜀(しょく)の地はついに
元軍に攻め破られ、城は陥落した。

荊(けい)、襄(じょう)、淮(わい)、
甸(でん)の地方は、毎年、元軍の攻撃、
略奪を受けるようになった。

南宗は、元と結ぶか、対立するかで国論が
二分していた。

理宗は最初、元からの使者を切り捨てた。

つまり、元とは対立する道を選択したのだ。

ところが、再度使者が来たら、史崇之らが
押す元と結ぶ方に戦略を転換した。

そして、盟約に従って金を挟撃して成功する
と、今度は趙范らの元を伐(う)って中原を
回復する戦略にまたもや転換している。

ベン京、洛陽の二つの城を楽々と手に入れた
ものの、史崇之が兵糧を送るという戦略に
沿った判断をしなかったため、結局、
南宋軍は総崩れとなった。

それから三十年余で南宗は亡びるのである。

企業においても、目先の利益に惑わされて
戦略をころころ変える会社はろくなことに
ならない。

やはり、大きな方向性を決め、固定して、
日々の小さな成功、失敗に一喜一憂すること
なく行動を積み上げることが重要である。

そのための大本になるのが社長の決断だ。

じっくりと検討して、
大方針を掲げていただきたい。

→続く「手柄と慢心(1)韓タク冑の幸運」
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