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「十八史略」に学ぶ兵法経営【目次】

6.リーダーの条件と承継編

承継でもめないようにするには…(1)李世民の即位    


誰に後を継がせるか。古来、人間は
この問題に頭を抱え続けてきた。

中国の歴史上、最高の名君と言われている
唐(とう)王朝の太宗皇帝、
李世民(りせいみん)でさえ、
事業承継では失敗したといってよい。

李世民自身は、
兄と弟を殺して即位している。

「十八史略」では、太子でありながら
酒や女、狩猟に熱心だった兄と、
何かと失敗してばかりの弟が手を組み、
あちこちで手柄を立てて名を挙げる
李世民に嫉妬して失脚させようと
たくらんだため、
李世民がこの二人を誅殺したとある。

事業承継でもめにもめた末での
即位だったわけだ。

兄弟の父である高祖は、最初、
兄を太子としておきながら、
あまりに李世民の活躍が目覚しいので、
太子を李世民に替えようとしている。

彼はこの申し出を辞退したという。

このような太子の変更はもめる発端に
なることが多い。

当然ながら、兄は憂鬱だったに違いない。

なんとか李世民を追い落とそうと
画策し始めた。

承継でもめないようにするのは
絶望的のように思える。

天子の立場からすれば、
戦死、病死、事故死を問わず、
いつ死ぬかもしれない状況下において、
万が一のことを考えて太子を早めに
決めておく必要は常にあると思われるが、
その時点では人を見極める余裕がなく、
多くの場合は年長者を選ぶというくらい
しか、選択の基準がないであろう。

唐の高祖が太子を決めたのは、
李世民もまだ何の活躍もしていない
時期なのである。

ところが、後になって長男と李世民の間に、
かなりの実力差があることが判明した。

父親は太子を変更したくなり、
長男は廃嫡(はいちゃく)されるのでは
ないかと恐れ出す。

そこでもめたのである。

しかし、ここで李世民は太子となることを
辞退している。

これはもめごとを起こさないようにという
考えがあったのではないだろうか。

もしも、このときに長男が太子の座を
譲ろうとしていれば、承継争いは
起こらなかったかもしれない。

その意味では、長男に実力を認めて素直に
譲るという徳心を育ててこなかった高祖の
教育が悪かったということになりそうだ。

→続く「承継でもめないようにするには…(2)簡子の承継基準」
「十八史略」に学ぶ兵法経営【目次】

 

 

 

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