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「十八史略」に学ぶ兵法経営【目次】

6.リーダーの条件と承継編

権力承継の順序(4)疑惑の承継    


太祖が病気重態に陥ると、
皇后の宋(そう)氏は、
ある宦官(かんがん)に命じてわが子の
徳芳(とくほう)を呼び寄せようとした。

ところがその宦官は、
徳芳を呼ばずに晋王を呼びに行った。

晋王が宮中に駆けつけると、
太祖は人払いを命じた。

何を伝えたのか、
その内容は一切分からない。

ただ遠くから蝋燭(ろうそく)の下で、
晋王がその場を離れた姿がほのかに
見えるだけであった。

やがて太祖は水晶で作った小さい斧を
ふりあげて床に突き立て、大声で、

「しっかりやるのだぞ」

と叫んだのが聞こえてきた。

そしてとうとう亡くなった。

宋皇后は、太祖の寝室にわが子でなく
晋王がいるのを見て驚いていった。

「私たち母子の命は、
 あなたさまに託します」

晋王は答えた。

「共に富貴を保つようにしましょう。
 ご心配には及びません」

こうして太祖の弟の晋王が即位し、
そのまた弟の秦王は首都開封(かいほう)の
長官に任命され、改めて斉王に封じられた。

太祖の長男の徳昭(とくしょう)は
武功(ぶこう)郡王に封じられた。

太祖から太宗へ、兄から弟へという承継は、
亡き皇太后の遺言通りに為された。

弟の太宗もまた名君であったため、
宋はこの二代で宋王朝の基礎を
固めることができた。

太祖の皇后にとって、この承継は寝耳に水の
ことであったようだが、兄弟仲良かったよう
なので、皇后も自分や子の処遇について
それほど心配していなかったのでは
ないだろうか。

しかし、この後、太祖の二人の子は相次いで
亡くなり、次の弟の斉王もワナにはめられる
ような形で死んでしまう。

そして、次の帝位は太宗の子へと継がれた。

太宗の意志がどの程度、反映された結果なの
かは分からないが、継承の難しさを
感じさせられる。

皇太后の遺言は、兄から弟へという
一段階で留まったわけである。

権力の承継は、当事者同士のみでなく、
周囲もある程度納得できる形で行われるよう
に配慮すると、スムーズに行きやすい。

継ぐことのできなかった承継候補者に、
それなりの地位を用意するなど何らかの保証
を与えれば、内紛も起きず、協力し合える
組織を構築できるのではないかと思われる。

→続く「死の利用方法(1)陰帝の死と郭威の即位」
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