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「十八史略」に学ぶ兵法経営【目次】

7.権力者が陥る罠と組織の崩壊編

崩壊後に起きること…    (2)賈似道、登場   


南宋(そう)の理(り)宗皇帝の頃、
元(げん)の皇帝の弟、忽必烈(くびらい)
が南宋の鄂(がく)州を攻撃したとき、
鄂州で南宋側の軍を率いていたのが
賈似道(かじどう)であった。

城中の死傷者が一万三千人にも達し、
忽必烈の攻撃の激烈さにすっかり
怖気(おじけ)づいた賈似道は、
ひそかに元側に使いを送って、

「今後、南宋の皇帝は元の皇帝に対して
 臣と称し、年々、貢物をするので
 休戦としたい」

と申し入れたが、忽必烈は許さなかった。

しかし、ちょうどこのとき、元の皇帝、
憲(けん)宗死去という知らせが入った。

元では、次の皇帝問題が起こっており、
すぐに帰国する必要にかられた忽必烈は、
賈似道の和議の申し出を承諾し、
南宋からの貢物の数量などを取り決めて、
自分は北方へと帰った。

南宋の景定(けいてい)元年
(西暦千二百六十年)、
元では忽必烈が皇帝となった。

そこで鄂州の元軍は北に還った。

南宋の賈似道は、部下に命じてその後軍を
新生磯(しんせいき)の地で打ち破った。

→続く「崩壊後に起きること…(3)賈似道の秘密」
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