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「十八史略」に学ぶ兵法経営【目次】

6.リーダーの条件と承継編

人間が寵愛しやすい順番と傾向(2)則天武后と美少年    


これくらい男の人生を大きく左右する女と
いう存在は、後継者の決定についても
大きな影響力を持つ。

漢の高祖劉邦が愛する戚(せき)夫人に
自分の生んだ子を太子にしてくれと頼まれ、
その気になったのも、
女性の影響力の大きさを表している。

劉邦の場合は正室の呂(りょ)后が画策して
呂后の子が次の天子となり、
自分の思いを実現できなかった。

西漢の中興の祖、
名君であった孝宣(こうせん)皇帝は、
儒学かぶれの太子について不安をもち、

「わが漢家を混乱させるのは、
 この太子であろう」

とまで言っておきながら、
他の者に代えることができなかった。

理由は、宣帝が少年時代に民間で過ごして
いた頃、太子の母親である皇后の
許(きょ)氏の家に身を寄せていたことや、
糟糠(そうこう)の妻であった許氏を
自分の意志で皇后につけたばかりに、
即位からわずか二年後、当時、朝廷内で
権力を持っていた霍(かく)氏に毒殺されて
しまったことなどから忍びなかったのだと
「十八史略」にある。

かつて愛した妻への思いが強く、妻が喜ぶ
ようにと配慮した結果ではないだろうか。

では、女性の場合はどうか。

基本的には受身である。

後宮にいる場合は天子に選ばれることが
第一であった。

天子に寵愛を受けて子ができると、
あとはわが子が重要な職についたり、
太子に選ばれたりすれば、
自分自身も権力を得、
豊かな暮らしができるようになる。

その意味では、わが子が最も大切な
存在であるというのが一般的だったろう。

しかし、中にはそうでないケースもある。

例えば即天武后(そくてんぶこう)は、
自分のやり方に反発しているとみなして、
わが子の太子弘(こう)を毒殺している。

また、子を帝位につけては次々と廃し、
結局、自分が帝位についた。

一方、一人の僧を寵愛し、愛情が衰えると、
張易之(ちょうえきし)、
張昌宗(ちょうしょうそう)という
美少年の兄弟を寵愛している。

則天武后が病に倒れ、後の中宗皇帝らに
よるクーデターが起こるまで、
この二人への寵愛は継続した。

則天武后は八十二歳で亡くなったそうで、
この年まで少年たちを愛していたと
いうのだ。

→続く「人間が寵愛しやすい順番と傾向(3)その他の女帝」
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