ハマモト経営の指針集 『論語』より

参考図書『論語』宇野哲人全訳注 講談社学術文庫

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「泰伯はそれ至徳と謂うべきのみ。三たび天下を以て譲る。民得て称するなし。」

読み方「たいはくは それ しとくと いうべきのみ。みたび てんかを もって ゆずる。たみ えて しょうする なし。」

(意味)泰伯は徳の極致というべき存在である。己の天下を譲って、絶対に自分が取ろうとはしなかった。泰伯の譲り方が譲ったとわからないようなものだったので、民も称することができなかった。

→ 個人としての欲望が全く無いといってよい人だったらしい。

譲るという美徳をひけらかすことも無いのだ。

本当に徳の高い人は、有名な人の中にはいないかもしれない。






「恭にして礼なければ則ち労す。」

読み方「きょうに して れい なければ すなわち ろうす。」

(意味)人に接する場合に恭しくするのはよいが、礼をもって節度をわきまえないと、かえって疲れてしまうものである。

→ 礼というのは、自分が疲れないためにも良いのである。

例えば、結婚のお祝いにいくら包むかも、「常識的な金額」があるから安心して決められる。

これが無いと限度が分からず、他人と比較したりして疲れてしまうものだ。






「慎にして礼なければ則ちシす。」

読み方「しんに して れい なければ すなわち しす。」

(意味)事を慎むのはよいが、礼によってその度合いを節しなければ、畏れるばかりで事を成し遂げられない。

→ 慎むというのは、度が過ぎると、「消極的」と同じになる。

すべきでないことを慎むのは良いが、すべきことを慎むのは社会的にもマイナスだ。

やはり中庸が大事。中庸を保つためにも礼があるのだろう。






「勇にして礼なければ則ち乱す。」

読み方「ゆうに して れい なければ すなわち らんす。」

(意味)勇気をふるって行うのはよいが、礼によってその度合いを節しなければ、上下を忘れて乱をなすようになるものである。

→ 勇気は必要欠くべからざる重要な徳目の1つである。

しかしこれが行き過ぎると、反社会的な行動を平気でするようになってしまう。

正しく勇気を活用するには、礼を判断基準としておけばよい。





「直にして礼なければ則ち絞す。」

読み方「ちょくに して れい なければ すなわち こうす。」

(意味)率直にモノを言うのはよいのだが、礼によってその度合いを節しなければ、他人に厳しすぎて不人情になる。

→ ホンネで語り合う方が、お互いのことがよくわかり、仕事もスムーズに進む。

しかし、例えば上司や先輩に対して、露骨に無能さを指摘するなどしたらどうだろう。

職場がギスギスして、反ってうまくいかない。これも中庸の精神を発揮することだ。






「君子親に篤ければ則ち民仁に興り、故旧遺れざれば則ち民ウスからず。」

読み方「くんし しんに あつければ すなわち たみ じんに おこり、こきゅう わすれざれば すなわち たみ うすからず。」

(意味)上の人間が親族に対して深い気持ちで接すれば、下の人間も親族と親しむようになる。上の人間が古い知り合いに対して忘れずに厚く接するならば、下の人間もその徳が薄くなくなる。

→ 上位者の徳が高ければ、集団全体の人格的レベルが上がる。

部下の不祥事の責任を上司がとるのは、ある意味で当たり前である。

普段の上司の徳が低かったから部下がそうなったとも言えるのだ。己を律しよう。






曾子疾あり。門弟子を召して曰く、「予が足を啓け、予が手を啓け。詩に云わく、『戦戦兢兢として、深淵に臨むが如く、薄氷を履むが如し』と。今よりして後、吾免るることを知るかな。小子。」

読み方 そうし やまい あり。もんていしを しょうして いわく、「よが あしを ひらけ、よが てを ひらけ。しに いわく、『せんせんきょうきょうとして、しんえんに のぞむが ごとく、はくひょうを ふむが ごとし』と。いまよりして のち、われ まぬかるることを しるかな。しょうし。」

(意味)曾子(孔子の弟子)が病気で死ぬ間際に自分の弟子たちを呼び集めていうには、「布団をのけて私の足と手を見てごらん。詩に『おそれ慎む。深い淵に臨むように、薄い氷を踏むように』とあるが、私は今までこのようにして父母からいただいた体を大切にしてきた。今から後は死を目前にしているので、私は体を傷つけることを免れると知った。お前たちも体を大切にしなさい。」

→ 父母から体をいただいたという認識があるか?

体はいただきものである。国家社会のためならまだしも、自分の不注意や欲望から傷つけてはならない。

体は自分が社会貢献を果たすための大切な道具だ。健康管理等ふだんから気をつけよう。






「曾子疾あり。孟敬子之を問う。曾子言いて曰く、『鳥の将に死せんとする、その鳴くや哀し。人の将に死せんとする、その言うや善し。君子の道に貴ぶ所の者三。容貌を動かしてここに暴慢に遠ざかり、顔色を正してここに信に近づき、辞気を出してここに鄙倍に遠ざかる。ヘン豆の事は則ち有司存す。』」

読み方「そうし やまい あり。もうけいし これを とう。そうし いいて いわく、『とりの まさに しせんと する、その なくや かなし。ひとの まさに しせんと する、その いうや よし。くんしの みちに とうとぶ ところの もの さん。ようぼうを うごかして ここに ぼうまんに とおざかり、かおいろを ただして ここに しんに ちかづき、じきを いだして ここに ひばいに とおざかる。へんとうの ことは すなわち ゆうし そんす。」

(意味)曾子(孔子の弟子)が病気で死ぬ間際に、孟敬子が見舞いに来た。曾子が話しかけていうには、「鳥の死ぬときにはその鳴き声は哀しく、人が将に死のうとするときには、善いことを言う(だから私の話を聞いてください)。君子の道に貴ばねばならないものが三つあります。容貌を動かすときには、粗暴放漫に遠ざかり、顔色を正す場合には心から信実に近づき、言葉を発する場合は野ひと不合理から遠ざかることです。ヘンや豆などの祭器を取り扱うことなどは、役人がつかさどることであり、君子の重んじることではありません。」

→ 人の上に立つものは、体全体、表情、言葉に十分気をつけなければならない。

和やかな表情と態度で、心は誠実に、そして言葉は卑しさを出さず、理に合わないことは言わないようにする。

そのような人物であることが、役割そのものなのだ。自分を磨こう。






「曾子曰く、能を以て不能に問い、多きを以て寡なきに問い、有れども無きが若く、実つれども虚しきが若く、犯せども校らず。むかし、吾が友、嘗て事にここに従えり。」

読み方「そうし いわく、のうを もって ふのうに とい、おおくを もって すくなきに とい、あれども なきが ごとく、みつれども むなしきが ごとく、おかせども はからず。むかし、わがとも、かつて ことに ここに したがえり 。」

(意味)曾子が言うには、自分は才能がありながら才能の無い人に問い、見聞が多いのに少ない人に問い、道理を悟っていながら自分は知らない者のように思い、徳が充実していながら空虚であるように思い、他人から侵害されてもどちらが正しいかをくらべて争うようなことはしない。むかし、わが友にこのような事を勉めて行った人がいた。

→ 徳が広大でなければこうはできない。

つまり、徳が身につけば身につくほど、己の不十分さに気づくのだ。

ますます己に厳しく、人に優しくなっていく。そうありたいものだ。





「曾子曰く、以て六尺の孤を託すべく、以て百里の命を寄すべく、大節に臨んで奪うべからず。君子人か。君子人なり。」

読み方「そうし いわく、もって りくせきの こを たくすべく、もって ひゃくりの めいを よすべく、たいせつに のぞんで うばうべからず。くんし じんか、くんし じんなり。」

(意味)曾子が言うには、幼少の君を託されてこれを補佐し、国家の政を行って命令を下し、節操は生死に関わる大事変に臨んでも奪われることが無い。このような人は君子だろうか。これこそ全くの君子である、と。

→ このようなことは、己を捨て、国家のために尽力できる人でなければできない。

自分がトップにならずとも、国民が幸せになればよいと考える人物だ。

大人物というのは、どのような地位にいても、必ず光っている。





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