ハマモト経営の指針集 『論語』より

参考図書『論語』宇野哲人全訳注 講談社学術文庫

  公冶長第五

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「焉んぞ佞を用いん。人に禦るに口給を以てし、しばしば人に憎まる。」

読み方「いづくんぞ ねいを もちいん。ひとに あたるに こうきゅうを もってし、しばしば ひとに にくまる。」

(意味)どうして口がうまい必要があろうか。ただ口先だけで人に対応するから、しばしば人に憎まれることにもなる。

→ 現代社会は、弁の立つ人ばかりがリーダーになっていないか。

西郷隆盛が今の国会に出、答弁などをしたら、物笑いの種にされるかもしれない。

真のリーダーとは、口先がうまい、テレビ受けするような人物とは、およそ対極にある。






「其の言を聴いて其の行いを観る。」

読み方「その げんを きいて その おこないを みる。」

(意味)人の言葉を聞いても鵜呑みにせず、その行動を観てから信じるか信じないかを決める。

→ 言葉では何とでも言える。

重要なのは、言ったことをやっているかどうかなのだ。

だから人を判断するときは、言葉に惑わされずに、何をやっているかをよく観察しよう。






「とうや慾、焉んぞ剛を得ん。」

読み方「とうや よく、いずくんぞ ごうを えん。」

(意味)とう(弟子の名)は欲の多い者だから、意志が強固な剛という徳をもっているとは言い難い。

→ 欲があるということは、その欲をつつかれると、意志を曲げてしまう。

つまり欲とは、弱点なのである。

己の欲を知り、その欲に打ち勝つことこそ、己に克つという兵法の極意である。






「子路聞くことありて未だ之を行うこと能わざれば、惟聞くことあるを恐る。」

読み方「しろ きく こと ありて いまだ これを おこなう こと あたわざれば、ただ きく こと あるを おそる。」

(意味)子路は、善のことを聞いて未だ実行できていなければ、さらに善のことを聞くのを恐れた。

→ 善を行うのには、勇気を伴うことが多い。

子路は、「善を聞いたのに行わない」ことを恐れ、「勇気をもって善を行う」人だった。

できていないうちはそれ以上教えを臨まず、まず実践しよう。着実にステップを上がろう。






「子、子産を謂う。君子の道四あり、其の己を行うや恭、其の上に事うるや敬、其の民を養うや恵、其の民を使うや義。」

読み方「し、しさんを いう。くんしの みち し あり。その おのれを おこなうや きょう、その かみに つかうるや けい、その たみを やしなうや けい、その たみを つかうや ぎ。」

(意味)孔子が子産を評価して言った。子産は君子の道を4つ行っている。自分の行いは恭しく、上の人に仕える際には敬い、民には恵を与え、民を治めるには正しい道理を以てする。

→ 徳が高ければ、出生しても驕り高ぶることは無い。

ますます、恭しく、ますます敬い、ますます恵み、ますます義を貫くのだ。

ちやほやされるようになればなるほど、心しなければならない。






「晏平仲は善く人と交わり、久しうして之を敬す。」

読み方「あんぺいちゅうは よく ひとと まじわり、ひさしうして これを けいす。」

(意味)晏平仲は善く人と交際している。長く付き合っても相手への敬意を払っている。

→ 長く付き合っているとボロが出てきて、本性が表れる。

親しい仲に、礼儀が欠けてしまうのだ。

徳の高い人は、長い付き合いでもきちんと相手を敬い、礼を尽くす。






「季文子、三たび思うて而る後に行う。子之を聞いて曰く、『再びせば斯れ可なり』。」

読み方「きぶんし、みたび おもうて しかる のちに おこなう。し これを きいて いわく、『ふたたび せば これ かなり』。」

(意味)季文子は、再三考えて後に行動した。孔子はこれを聞いて「一度考えたことをもう一度考えれば、それでよい」と述べた。

→ 一度考えたことを、本来の判断基準に照らし合わせて考え直せば、正しい判断ができる。

それをさらに考えるというのは、よこしまな考えが頭をよぎる可能性が出てくるわけだ。

何度も考えるのは、ただ迷っているに過ぎない。判断基準を身につけよう。






「ネイ武士、邦道あれば則ち知。邦道なければ則ち愚。其の知には及ぶべし。其の愚には及ぶべからず。」

読み方「ねいぶし、くに みち あれば すなわち ち。くに みち なければ すなわち ぐ。その ちには およぶべし。その ぐには およぶ べからず。」

(意味)ネイ武士(人名)は、国に広く道が行き渡っているときに仕えており、知者である。また国に道が無く乱れているときにも仕えており、愚人である。知者としての行いは他の者にもできるが、愚人としての行いは誰にもできない。

→ 組織がうまくいっているときにリーダーを任され、数々のプロジェクトを実行するのは賢いことだ。

皆の士気も上がっており、成果も上げやすい。誰もがやりたがる。

うまくいっていないときに引き受けるのは馬鹿だ。しかし、「義」に照らせば、やらねばならぬときもある。






「伯夷叔斉は旧悪を念はず。怨み是を以て希なり。」

読み方「はくいしゅくせいは きゅうあくを おもわず。うらみ ここを もって まれなり。」

(意味)伯夷と叔斉(人名)は、他人の昔の悪い行いを気にしない。だから、昔この二人から悪く思われた人も、二人を怨むことはまれだ。

→ 昔は昔、今は今と割り切って考えることは、なかなかできることではない。

しかし、例えば人事評価の折など、過去のことは忘れ、評価期間の実績や行動だけを評価する必要がある。

普段から必要な思考回路の1つだ。先入観を解き放とう。






「巧言令色足恭は、左丘明之を恥づ。丘も亦之を恥づ。」

読み方「こうげん れいしょく すうきょうは、さきゅうめい これを はづ。きゅうも これを はづ。」

(意味)巧みな言葉、媚を売る表情、過度の恭しさは、古の賢人左丘明はこれを恥じてしなかったが、丘(孔子自身)もこれを恥じてしない。

→ 相手に媚を売るは、自分の欲望の表れである。

顧客にひざまづいて売ろうとしても、実際には売れない時代となっている。

主動権を握ろうと思えば、ひざまづいてはいけない。買わないお客は相手にしないくらいの気概が必要だ。





「怨みを匿して其の人を友とするは、左丘明之を恥づ。丘も亦之を恥づ。」

読み方「うらみを かくして その ひとを ともと するは、さきゅうめい これを はづ。きゅうも これを はづ。」

(意味)怨んでいることをかくして、その相手を友としてつきあうのは、古の賢人左丘明はこれを恥じてしなかったが、丘(孔子自身)もこれを恥じてしない。

→ 本当は嫌ったり、憎んだりしている相手に対し、ヘラヘラ笑って付き合っていないか。

嫌な相手にも笑顔を見せるのが商売人か。

それはお客に主動権を握られているだけだ。こちらもお客を選ぼう。






「老者は之を安んじ、朋友は之を信じ、少者は之を懐けん。」

読み方「ろうしゃは これを やすんじ、ほうゆうは これを しんじ、しょうしゃは これを なつけん。」

(意味)老人は安楽にしてやり、朋友のことは心から信じ、年少者には懐かれるよう大事にしたい。

→ それぞれには、それぞれの希望がある。

「楽になりたい」「信じてもらいたい」「大事にされたい」という希望は、誰でも持っている。

それに応えたいと孔子は言っているのだ。これぞ顧客思考ではないか。





「已んぬるかな。吾未だ能く其の過ちを見て内に自ら訟むる者を見ず。」

読み方「やんぬるかな。われ いまだ よく その あやまちを みて うちに みずから せむる ものを みず。」

(意味)もう絶望だ。私は未だに自分の過失に対して自分を責める者を見たことが無い。

→ まず自分の過失に気づき、認めることからスタートする。

次に、自分のどのような判断が間違っていたのか、よく反省しなければならない。

それをしてこそ、人間的に成長し、同じ失敗を繰り返さなくなるのだ。






「十室の邑、必ず忠信丘の如き者あらん。丘の学を好むが如くならざるなり。」

読み方「じっしつの ゆう、かならず ちゅう しん きゅうの ごとき もの あらん。きゅうの がくを このむが ごとく ならざる なり。」

(意味)十戸ほどの小さな村でも、必ず孔子のような忠や信の徳をもった者がいるだろう。しかし、孔子のように学問を好んで努力する者はいないのだ。

→ 生まれ持った性質がよくても、磨かなければ光るようにはならない。

しっかりと先人の知恵を学んで、努力を積むことが大切だ。

我流は所詮我流に過ぎない。学ぶことで、さらに個性を発揮することができる。




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