こうした王道の政治は理想に近いものだが、
周王室が衰えてからは諸国が覇権を 争うようになり、 それにつれて覇道色が強くなっていった。
覇道の場合、人民や諸侯を力で押さえつける わけだが、具体的には法や警察力、軍事力を 用いて統治するのである。
これが行き過ぎると、人民は立ち上がり、 力で対抗するようになる。
秦(しん)の始皇帝が東方を巡幸している 途中、博浪沙(はくろうさ)の地に さしかかったとき、鉄槌(てっつい)
(大形のかなづち)がどこからともなく 飛んできた。
これは韓(かん)の人で、後に漢(かん)の
高祖劉邦(りゅうほう)の参謀となって 活躍した張良(ちょうりょう)が 仕組んだことであった。
張良は五代にわたって韓の宰相をつとめた 家柄であり、韓が秦に滅ぼされてから 報復する機会を狙っていたのだ。
張良が力士に命じて投げさせた鉄槌は、 狙いがはずれて随伴車に当たった。
始皇帝は驚いて、付近を捜させたが 犯人は見つからなかった。
そこで命令を下して天下中を探させた。
このように力で押さえつけられた側は 力で反発するものである。
やはり、徳で人民を統率する方が よさそうに思えるが、これも簡単ではない。
→続く「権力者とリーダーの違い(6)宣帝の危惧」 →「十八史略」に学ぶ兵法経営【目次】
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