中国の天子(天帝の子。帝、王などの別号) の継承には三つの方式、
禅譲(ぜんじょう) 世襲(せしゅう) 放伐(ほうばつ)
があり、このうち禅譲が理想とされている。
最も徳の高い人間、 つまりリーダーとして優れていると 認められた人間に位を譲るのが、
集団の生活が末永く平和で安定する道だ と考えて行う禅譲は、 確かに理にかなっている。
では、世襲はどうかというと、 これはもう権力者の発想である。
天子の子や兄弟などのなかに、
その国で最も徳が高く優秀な者がいる 可能性は極めて低い。
にもかかわらず血縁関係者に承継すると
いうのは権力維持が目的である。
放伐は武力で天子の地位を奪うもので、 これを行うと簒奪(さんだつ)者と
認識されて悪評が立つ。
そのため、実際には放伐であっても 脅迫して禅譲を迫る者が多かった。
形の上だけは禅譲の形式をとるわけだ。
力ずくで天子の地位を奪うのであるから、 これも権力者である。
国語辞典の「大辞泉」によれば、 権力とは、
「他人を強制し服従させる力。
特に国家や政府などがもつ、 国民に対する強制力」
だそうである。
とすれば、権力者は他人をむりやり力で 支配する者である。
それに対してリーダーは、 同じく「大辞泉」に
「指導者。統率者」
とある。
ある方向へと、 人をまとめながら導いていく存在と
いえそうだ。
リーダーも時として力を用いることは あるだろうが、力よりも徳で引っ張っていく
イメージである。
中国では古来、権力者を覇者、 リーダーを王者と呼んだ。
覇者が行う政治が覇道、 王者が行う政治が王道である。
もうひとつ、帝道というものがあり、
これは無為にして人民を教化する政治の やり方で、堯(ぎょう)や舜(しゅん)が その代表である。
力でねじ伏せるものではないという点で 王道に近い。
→続く「権力者とリーダーの違い(2)覇者と王者」 →「十八史略」に学ぶ兵法経営【目次】
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