では、どのように見極めれば よいのだろうか。
戦国時代、魏(ぎ)の文(ぶん)侯を 助けて政治改革を推し進めた李克(りこく) の例を見てみよう。
文侯は宰相に登用する人物について李克に 尋ねた。
「先生はかつて私に、
『家が貧乏になると良妻が必要だと思う ように、国が乱れると名宰相が必要だ と思うものだ』
とお教えになった。
そこで相談なのだが、今、宰相の候補は、 魏成(ぎせい)かテキコウのどちらか
しかいない。
二人のうち、どちらがよいだろうか」
李克はこう答えた。
「その人が仕えないで家にいる場合は 誰と親しくしているか。
すでに金持ちになっている場合は
何に金を使っているか。
すでに高位についている場合は 誰を登用しているか。
窮地に陥っている場合は道に外れた 行為をしていないか。
貧乏な場合は筋の通らないものを
受け取っていないか。
以上の五つの視点で見て、 申し分のない人物を選ぶならば
満足な人事が出来ます。
ところで、わが君が師と仰がれる人物 である子夏(しか)、
田子方(でんしほう)、 段干木(だんかんぼく)の三賢人は、 魏成が推挙した人物であります」
そこで文侯は、
「誰を登用しているか」
という点から魏成を宰相とした。
李克は一貫して発言内容よりも行動の 中身を重視している。
確かに口先では何とでもうまく言えるので、
言葉は判断基準とはなりにくい。
では行動面で信用できる真面目な人物の ふりをすることは出来ないかというと、
出来ないことはない。
しかし、これを続けるのは極めて困難で あり、いつかボロが出るものだ。
李克の判断基準は現代でも十分、 使えるものである。
→続く「建前と本音の見極め(2)宋の蔡京、童貫」 →「十八史略」に学ぶ兵法経営【目次】
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