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「十八史略」に学ぶ兵法経営【目次】

3.権力の本質と内部抗争編

すり寄ってくる者とその方法(1)侫臣か忠臣か


権力を握った者にはいろいろな人間が
近づいてくる。

そのなかには権力者を利用して自分の欲望を
かなえようとする者も多い。

唐の名君、太宗(たいそう)皇帝は
こう語っている。

「人君といっても心は一つしかないのに、
 これを攻め苦しめる者は大勢いる。

 ある者は勇力を誇示して自分を売り込もう
 とし、ある者は弁舌巧みに言い寄ろうと
 し、ある者は媚びへつらって機嫌を
 とろうとし、ある者は嘘いつわりであざむ
 こうとし、ある者はたしなみ好む心に
 つけ込んで誘惑しようとする。

 これらの者が四方八方から集まり、
 それぞれ自分を売りつけようとしてくるの
 である。

 そこで人君たる者が少しでも気を許して
 しまい、そのなかの一人でも受け入れて
 しまえば、その後から危険や滅亡が
 ともなって来るのだ。

 これが人君たる者の難しいところである」

例えば、即天武后(そくてんぶこう)が
二人の美少年、張易之(ちょうえきし)、
張昌宗(ちょうしょうそう)兄弟を
寵愛していたとき、兄の易之は五郎、
昌宗は六郎と呼ばれていたのだが、
あるごますり男は、

「人々は、六郎の美しさはまるで蓮の花の
 ようだと言うが、私に言わせれば、蓮の
 花の方が六郎に似ているのでございます」

と褒めたたえたそうである。

このように歯の浮くような誉め言葉を
毎日のように聞かされるとすれば、
権力者の側はよほど気を引き締めて
おかないと足を救われてしまう。

この則天武后という唐王朝の
簒奪(さんだつ)者を誕生させてしまった
のも、一人の侫臣(ねいしん)の
一言からであった。

唐の太宗を継いで即位した
高宗(こうそう)が皇后の王(おう)氏を
廃して武氏を立てようとした際、先帝の
太宗から厚い信頼を得ていた
チョ遂良(ちょすいりょう)は強行に反対
したが、李勣(りせき)という侫臣は、
高宗に意見を求められるとこう述べた。

「これは陛下のご一家の内の問題です。
 どうして他人にいちいち相談なさる
 必要がございましょう」

これによって武氏が皇后となり、
反対したチョ遂良は潭(たん)州の地へと
左遷されてしまった。

ただ、李勣(りせき)も太宗が高宗に
用いるよう助言した人物である。

太宗自身が李勣の邪悪な人間性を
見抜けなかったのだ。

それだけ侫臣と忠臣の区別をつけることは
難しいということである。

→続くすり寄ってくる者とその方法(2)趙高の策略」
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