ハマモト経営HOME

「十八史略」に学ぶ兵法経営【目次】

2.人間の本質と欲望編(基本)

権力と支配(3)呂后の執着


すさまじいまでに権力に対する執着を見せた
人物に、漢(かん)の呂后(りょこう)が
いる。

高祖劉邦(りゅうほう)の正室であった
呂后は、劉邦の次の皇帝にわが子の
盈(えい)を立てることに画策、成功し、
太后となった。

盈は帝(孝恵〈こうけい〉皇帝)となった
後、七年で崩御する。

恵帝には子が無かった。

呂太后はかねてより、他の女官の子を
奪って太子に立てておいた。

これを少(しょう)帝という。

これ以後、呂太后は朝廷に出て、
自ら政務を執るようになった。

その後、呂氏一族を王に立てようと考え、
その可否を諸大臣にはかった。

反対すると劉氏の血筋を守れないと考えた
陳平(ちんぺい)や周勃(しゅうぼつ)など
の重臣たちが賛成したため、
呂太后は呂氏一族を各地の王として
立てることに成功した。

さらに呂太后は、自らの出生の秘密を知って
反発した少帝を宮中に押し込めて殺して
しまい、恒山(こうざん)王の義(ぎ)を
立てて皇帝とした。

これも少帝と同じく、
他人の子を恵帝の子に仕立てたのである。

「史記」によると、呂太后は、高祖劉邦が

「劉氏以外の者が王に立った場合、
 一致してこれを撃て」

と重臣たちに命じ、
約束させていたことから、
呂氏が権力を握っていく状態を快く思って
いない者が数多くいることを認識しており、
自分の死にあたって
北軍の将である呂禄(りょろく)と
南軍の将である呂産(りょさん)に
クーデターを起こすよう指示していた
という。

この二人が実権を握っており、
大尉(たいい)の周勃でも一兵をも
指揮することが出来なかったため、
陳平と周勃は相談し、
呂禄と仲の良いレキ寄(き)に、
呂禄に対して軍を手離すよう
説かせたのである。

呂禄は大将の印綬を解き、
軍を大尉に授けた。

周勃は軍中に入って命令した。

呂氏のために尽くす者は右肩を脱げ、
 劉氏のために尽くす者は左肩を脱げ

と。

全軍の将兵は、皆、左の肩を脱いだ。

そこで周勃は朱虚(しゅきょ)侯の
劉章(りゅうしょう)に千余人の兵を与え、
呂産を攻めて殺させた。

手分けしてもろもろの呂氏を捕まえ、
子どもや大人の区別なく斬り殺したので
あった。

一時的に個性の強いリーダーが出て、
企業を発展させることがあるが、
そういう場合は要注意だ。

その者にやたらと迎合する者が増えたり、
彼の取引先が条件面で泣いていたりと
いった状況になっていると、
長期的には確実に業績を悪化させることに
なる。

後で建て直すのは大変な労力がいるものだ。

もしも、社長や幹部社員の誰かの支配力が
大きいと感じたら、どれくらい反論や批判が
会議やミーティングなどで出されているか、
数え上げてみたらよい。

少なければ少ないほど、危ない。

→続く人間の持つ残虐性 呂后の復讐」
「十八史略」に学ぶ兵法経営【目次】

 

 

 

inserted by FC2 system