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「十八史略」に学ぶ兵法経営【目次】

1.賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ
  「十八史略」に学ぶ意味

失敗の本質


先に、歴史を学ぶ目的について、

・現在と未来に発生する問題を解決すること

だと述べたが、それはつまり、失敗の回避、
あるいは失敗した後の処理を適切に行うこと
を意味する。

そこで、

「失敗」

というものについて考えてみたい。

まず、失敗とは何であろうか。
失敗について、多くの人は

「うまくいかなかったこと」

だと考えているようだ。

その反対の成功とは

「うまくいくこと」

しかし、このような考え方は

・それこそ人生を失敗に導くもの

だと私は断言する。

なぜならば、

・これでは消極的になってしまう

からである。

何事も、初めてやることについてうまくいく
確率は低くなる。

初めてボウリングをしにいって、
いきなり200点をたたき出したなどという人
はいないだろう。

子供の頃であれば、せいぜい数十点からの
スタートだ。この数十点を失敗と見て、
なるべく失敗したくないと思うのであれば、
最初から「ボウリングなどしない」という
結論に達する。

もしかしたら、その人にとってボウリングは
最高の趣味となるようなすばらしいスポーツ
であるかもしれないのに、一度も経験せずに
人生を終わるとすれば、
それこそ失敗でなくて何であろうか。

たとえ数十点しか取れないとしても、
この人にとっては始めたことが成功そのもの
なのだ。

練習を重ねればプロ級の腕前になり、
本当にプロになってしまうかもしれない。

しかし、仮にそうならず、
ゲームのたびに百点前後しか取れなくても、
いや数十点のままでも生き生きと
ゲームができるのなら大成功である。

私は「参加することに意義がある」などと
いうことをいっているのではない。

未知でも自分が興味を抱いたことは、
うまくいく、いかないに関わらず
やってみることが大事だといっているので
ある。

その場合、事前に得られる情報も少なく、
自分自身も不慣れで訪れる状況に適切に
対応できず、うまくいかないことも多く
なるだろう。

しかし、その場で自分の出来る限りの
ベストを尽くせば、
その経験は必ず次に生きてくる。

では、本当の意味での失敗とは何だろうか。

それは、どうしても目標とする結果を
残さなければならないという状況下で、

他者の実践事例も調べずして敗れ去ること

だと私は考える。

先のボウリングなどは、
他者がどうこうというよりも、
まずやってみて、体で覚えるのが
手っ取り早い。

スポーツのほとんどはそういう性質のもの
だし、その他ではゲームや芸術など、
特に趣味に関連するものの多くは、
知識を学ぶよりやってみる方が
早いだろう。うまくいかなくてもたいした
損害はないからである。

しかし、企業経営、戦争、政治など、
一度のミスが大きなダメージを与える分野
のものについては、
時間と資金の許す限り、
他者が行った記録を調べ、
どうすれば一歩でも自分がうまくやれるか
について検討を重ねたうえでやることが
大事になってくる。

そのような努力をして実行に移した結果の
失敗ならば、それは成功のうちである。

やるべきことをやったうえでの失敗は、
必ず後の成功につながる。

つまり、成功へ向かう段階の一つに
過ぎないのだ。

幸い、人類はこれまでに「歴史」という
データを蓄積してきている。

これを読めば、さまざまな場面での成功、
失敗とその要因が書いてあるのだから、
歴史を学ばない手はない。

それもせずに何かの事業を始めて
失敗するなら、それこそ大失敗であると
いえよう。

「十八史略」に登場する皇帝、王、諸侯
たちにも、歴史を学んでいる者は多い。


東晋(とうしん)王朝の頃、
後趙(こうちょう)で
天王(てんおう)と称し、
ついで皇帝と自称した
石勒(せきろく)という男がいる。

あるとき、彼は臣下を集めて盛宴を
張った際、

「私は昔のどの君主と
 比べられるであろうか」

と皆に質問した。ある男がへつらって、

「西漢(せいかん)の高祖、
 劉邦(りゅうほう)よりも
 優れておられます」

と述べたところ、
石勒は笑いながらいった。

「人は自分で自分のことを分かって
 いるものだよ。

 お前の言葉は誉めすぎというものだ。

 もしも私が西漢の高祖にお会いした
 ならば、韓信(かんしん)や
 彭越(ほうえつ)などと肩を並べて
 臣下の礼をとっただろう。

 もしも東漢(とうかん)の
 光武(こうぶ)皇帝にめぐりあったなら、
 共に中原(ちゅうげん)に馬を並べて
 争うだろうが、王位がどちらの手に
 落ちるかは分からない。

 だが、曹操(そうそう)や
 司馬懿(しばい)のように、
 女や子供をあざむき、
 人をたぶらかしてまで天下をとるような
 真似(まね)はしないぞ」

石勒は、学問はしなかったが、
人に書を読ませて聴くことを好み、
ときには自分の意見で是非や得失を論じた。

その意見は実に鋭く、
聞く者を感心させたという。

あるとき、「漢書(かんじょ)」を
聴いていたときのこと。

劉邦に対して、客のレキ食其(いき)が、

「秦(しん)に亡ぼされた六国の王の子孫を
 それぞれの地の王に立てなされ」

と勧めたと知った石勒は驚いて、

「そんなやり方は間違っている。
 どうやって劉邦が天下を取ったのか
 さっぱり分からん」

といった。

後に張良(ちょうりょう)の諌めで
その方針が撤回されたことを聞いた後、
納得していった。

「幸いにこの諫言があったからこそ
 天下が取れたのだ」

張良は、

・各地にもとからの王の子孫たちを
 立てれば、劉邦に従ってついてきた
 者たちは、自分たちがいくら努力しても
 王に封ぜられることはないと分かって
 離れていく。

・六国の王たちはその時点で項羽(こうう)
 が率いる最強の楚(そ)に屈し、
 劉邦の漢に従うとは考えられない。

などの意見をあげてレキ食其(いき)の策に
反対したのだが、石勒もそのような危惧の念
を抱いたのだろう。

自分ならばどうするかと考えることは、
思考を鍛えるのに役立つ。

石勒は歴史上の事例にもとづき、
ある条件下ならばどうすべきかと自分の策を
めぐらし、実際の結果と照らし合わせるなど
しながら、机上で訓練を重ねたものと
思われる。

日ごろからこのような形で自分を鍛え、
かつ、実地の戦闘に当たって準備に準備を
重ねて挑んだ者は、失敗の確率が低くなって
当然である。

敵がさらに優秀であったり、
経験豊富だったりすれば
こちらも敗北する可能性が出てくるが、
その敗北は、命を落とさない限り、
大きな財産となって次の戦に役立つ。

そうした失敗は、

自分をさらに強くさせてくれるもの

であると考えて間違いない。

だから、失敗して気分を落ち込ませる
必要はないのだ。

次に成功させればよいだけである。

ただし、自分に何らかの傲慢さ、
このままでも勝てるという過信、
油断のようなものがどこかにあったのでは
ないかという点は反省しなければならない。

「孫子の兵法」に、

「彼を知り己(おのれ)を知れば、
 百戦殆(あや)うからず。

 彼を知らずして己を知れば、一勝一負す。

 彼を知らず、己を知らざれば、
 戦う毎に必ず殆うし」

(意味)敵情を知って味方の事情も
 知っておれば、百回戦っても危険が無い。

 敵情を知らないで味方の事情を知るだけ
 では、負ける可能性もかなりある。

 敵情を知らず味方の事情も知らないの
 では、戦うたびに必ず危険に陥る。

という有名な言葉がある。

敗北したということは、
敵を知らな過ぎたのかもしれないし、
敵のみならず自分のことすら十分に
分析できていなかった可能性もあるのだ。

これらについて、次回は十分に情報を収集し、
分析したうえで戦う必要があるということで
ある。

真剣に戦って負けた経験をした人間は、
確実に強くなる。

成功するには、
成功するだけの条件をすべて揃えなければ
ならない。そのなかの一つでも欠けると、
結果は失敗となる。

どのような条件を揃えなければならないか、
それらの条件をどう整備するかということに
ついての認識を深めていくことを学ぶのが
人生というものなのだ。

その意味で、

失敗とは、条件を整えられなかったことの
証左である


ともいえる。

成功するためにはどんな条件が必要なのか、
ぜひ「十八史略」から読み取って欲しい。

→続く変わるものと変わらないもの」
「十八史略」に学ぶ兵法経営【目次】

 

 

 

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