即位の年、鐵木眞は蒙古の諸王、 群臣を召集し、九旒(きゅうりゅう)の
白い吹き流しをたてて即位式を行った。
群臣はともに尊号をたてまつり、 成吉思(じんぎす)皇帝と呼んだ。
元の西夏征服の経緯を見てみよう。
皇帝即位よりも前、南宋の 開禧(かいき)元年(西暦千二百五年)、
元の太祖は西夏に遠征し、 力吉里塞(らくりさい)の地を 攻め落としていたが、
開禧三年の秋にも再び西夏征伐に出かけた。
南宋の嘉定(かてい)二年 (西暦千二百九年)の春にも、
元の太祖は西夏の河西(かせい)の地を 征伐し、しばしば西夏の兵を破った。
西夏の国主は、
自分の娘を太祖に嫁がせて和議を請うた。
嘉定十一年、元軍は西夏に遠征して その王城を囲んだ。
西夏の国主は西涼(せいりょう)の地に 逃げた。
南宋の宝慶元年(西暦千二百二十五年)、
元の太祖は西夏に遠征し、 甘肅(かんしゅく)等の州を取り、 とうとう沙陀(さだ)の地を越えて、
黄河上流の九渡(きゅうと)の地にまで 迫った。
宝慶二年、ついに元は西夏を亡ぼし、
西夏の国主を捕虜にして帰還した。
元は、わずか二十年余で西夏を 亡ぼしたのである。
金に対してはどうだったであろうか。
→続く「これから起きることの本質(3)元、金を亡ぼす」 →「十八史略」に学ぶ兵法経営【目次】
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