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「十八史略」に学ぶ兵法経営【目次】

2.人間の本質と欲望編(基本)

集団・組織(3)外戚対宦官


順帝から二代のちの孝質(こうしつ)皇帝
(質帝)は、八歳で位についた。

幼少時から聡明で、かつて群臣を朝廷に
集めた際、梁冀に対して

「これはわがままな将軍である」

と言ったことがある。

これを恨んだ梁冀は、餅の中に毒を入れて
帝にすすめ、殺してしまった。

次の孝桓(こうかん)皇帝(桓帝)は、
梁冀の横暴な行為を見かねて、
宦官の単超(ぜんりょう)らと共謀し、
兵を動員して梁冀から大将軍の印綬を
取り上げ、自殺に追い込んだ。

梁氏一族は老若を問わず獄門に
さらされたのである。

この功績により、単超ら宦官五人は
すべて大名となった。

このように皇帝の外戚が権力を振るう
一方で、宦官も勢力を伸ばし、
目に余る行為も目立った。

桓帝の時代に、朱穆(しゅぼく)という、
不正をあばくことに生きがいを
感じているような人物が冀(き)州と
いう地の長官に任命された。

朱穆が来ると聞いただけで、
冀州の県令、幹部役人などで辞職して
逃げ去る者が数十人に及んだという。

彼は任地に着くと、さっそく官吏たちの
不正を上奏弾劾した。

また、ある宦官が死んだ父を故郷で葬る
際に、天子の礼でのみ用いる金玉を
ちりばめた着物を死者に着せた。

朱穆はこれを取り調べ、
墓をあばいて棺を開き、
その着物をはぎとらせた。

桓帝はこれを聞いて大いに怒り、
朱穆を召還して検察官に引き渡した。

劉陶(りゅうとう)ら、太学(たいがく)
(政府直属の官僚養成学校。政府への影響力
がある)の学生ら数千名は、朱穆の無実を
訴えて言うには

「宦官どもはひど過ぎます。
 手には爵位の授与権を握り、
 口には天子の法令をくわえ、
 好き放題にやっております。

 しかし、朱穆だけは身の危険を
 かえりみず、心からこの状況を憂えて、
 陛下のためを考えて宦官に抵抗している
 のです。

 朱穆を罰するのであれば、
 どうか私たちを代わりに罰してください」

と。桓帝は朱穆を許さざるを得なかった。

この例を見ても分かるとおり、
宦官は皇帝にとって外戚の権力から身を
守るために必要不可欠な存在であった
ため、皇帝の威光を背景として宦官たちの
勢力は盛んとなっていった。

外戚に対抗するには、宦官も集団で
まとまって動く必要がある。

同じ去勢された者同士という仲間意識は、
もしかしたら血縁関係以上のもので
あったかもしれない。

しかし、この宦官の集団も、
自分たちの利権を守ろうとする私欲に
よって動くものであった。

外戚対宦官の闘争

が続くにつれ、
東漢王朝は滅亡への道をまっしぐらに
進んだのである。

企業のなかでも、いつの間にか、
社長派、常務派、○○部長派、
などの派閥ができ、
団結して行動するという事象が
現れることがある。

公のための団結ならよいが、
自分たちの利権を守るための行動をする
ようになるとマイナスに働く。

ときとして、社長を悩ます最大の問題に
発展することもあるので、
人の集団には気をつけねばならない。

特にその集団のリーダーがどんな人物か、
しっかり押さえておくことである。

→続く酒と女(1)飲み過ぎて危機一髪」
「十八史略」に学ぶ兵法経営【目次】

 

 

 

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