慢心の状態が続くと人を見下すようになる。
これを傲慢という。
人を見下すようになると短気になりやすい。
自分の思いどおりにいかないとか、
他人がいうことをきかないなどの場面で 怒りを爆発させるのだ。
自分では主導権を握っているつもりでいるの
だが、実は周囲の条件に振り回されている だけである。
つまり、主導権を相手に渡してしまっている
のだがそれに気づかない。
傲慢な者はワナにもはまりやすい。
トップが主導権を握れなくなると、
組織は崩壊に向かうことになる。
戦国時代、秦(しん)の恵(けい)王は
東の斉(せい)を伐(う)とうと思ったが、 南の楚(そ)が斉と手を結んで秦に 対抗してくることを憂慮した。
そこで張儀(ちょうぎ)を遣わして、 楚の懐(かい)王にこう説かせた。
「もしも、大王が国境の関所を閉じて斉との 国交を断絶されるならば、秦の領土である
商(しょう)、於(お)の二県の六百里を 献上いたしましょう」
懐王はこの話を信じて、
勇者を北の斉にやって斉王を侮辱させた。
斉王は激怒して、秦と同盟してしまった。
懐王は約束の土地を秦からもらうため、 使者を派遣したところ、張儀はこういった。
「その土地というのは、
某所から某所に至るまでの広さ六里です」
六百里の約束なのに六里しか渡せないと いう。
懐王は大いに怒り、 すぐさま秦に対して兵を挙げた。
結果は大敗であった。
秦は昭(しょう)王の代となり、 楚の懐王と黄棘(こうきょく)の地で 盟約を結んだ。
昭王は間もなく懐王に手紙を送って、
「ぜひ、もう一度、 武関(ぶかん)の地でお会いしたい」
と申し入れた。
楚の大夫の屈平(くっぺい)が万が一のこと を心配して反対したが、懐王の末子の子蘭
(しらん)が王に勧めて武関に行かせた。
秦は会見の場で懐王を捕らえ、 秦の都の咸陽(かんよう)に連れ帰った。
懐王はとうとう秦で亡くなった。
信ずべき者の声を聞かず、信じるべきでない
者の耳あたりのよい言葉を信じてしまうの は、欲望がそうさせるのであろう。
そして、その欲望がかなえられなかったとき には怒りに我を忘れ、力任せに攻撃すると
いうのでは、とても一国の王は務まらない。
最後の最後まで懐王には忠臣の声が 届かなかった。
傲慢な者に真実は見えないのである。
→続く「傲慢と短気(2)帝号を奪われた男」 →「十八史略」に学ぶ兵法経営【目次】
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