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「十八史略」に学ぶ兵法経営【目次】

7.権力者が陥る罠と組織の崩壊編

死にゆく者が考えること(4) 劉備と諸葛亮     


蜀(しょく)の昭烈(しょうれつ)皇帝、
劉備元徳(りゅうびげんとく)は、
臨終にあたり
諸葛亮孔明(しょかつりょうこうめい)を
呼んでいった。

「君の才能は魏(ぎ)の曹丕(そうひ)
 (魏の初代皇帝)より十倍も優れている。

 必ず国家を安泰にし、天下統一の大事業を
 成し遂げるだろう。

 太子の劉禅(りゅうぜん)が助けるだけの
 価値があるならば助けてやってほしい。

 しかし、助け甲斐がないならば、
 君みずから天下を取るがよい」

劉邦は、天下のためならば諸葛亮に位を
譲ってもよいといったのである。

しかし、この主にしてこの臣あり。

諸葛亮はあくまでも丞相の地位に留まり、
劉禅を支えた。

諸葛亮の死後、
子の諸葛瞻(しょかつせん)、
孫の諸葛尚(しょかつしょう)なども
引き続き重臣として蜀に仕えたが、
この親子は最後、攻め入ってきた魏の兵と
戦って死んだ。

劉禅は宦官(かんがん)の黄皓(こうこう)
を寵愛したが、この宦官が専横に振舞った
ことで蜀は弱体化した。

したがって、もしも諸葛亮が劉備のいう
とおりに即位していたら、
蜀の運命は違っていたかもしれない。

この事例から、欲のない、天下のことを
思っての遺言も、思いどおりになるわけ
ではないと分かるのである。

→続く「死にゆく者が考えること(5)唐の太宗でも無理」
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