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「十八史略」に学ぶ兵法経営【目次】

7.権力者が陥る罠と組織の崩壊編

リーダーから人が離れていくとき(1)句践と范蠡    


努力を重ね、国家として理想の状態を
築き上げても、リーダーの政治次第では、
人は失望してリーダーから離れていく。

人を導くリーダーから、人の上に君臨して
生殺与奪(せいさつよだつ)の権を握る
権力者に変わると、その下にいる者に
とってはただ恐怖あるのみである。

目標に向かう喜びは失われてしまい、
一刻も早く離れるか、
表面上は従っているふりをして過ごすか、
その権力者を殺してしまうか、などの選択肢
のどれかを選ばざるをえなくなるのだ。

春秋時代、宿敵であった呉(ご)王、
夫差(ふさ)を殺し、呉国を亡ぼした
越(えつ)王の句践(こうせん)の元から、
一人の優れた人物が去った。

范蠡(はんれい)である。

「越王の人相を見ると、首が長く、
 口は烏(からす)のように黒くて
 とがっている。

 苦難を共にできても、
 楽しみを分かつことはできない人柄だ」

というのが理由である。

実際に、越の大夫の文種(ぶんしょう)は
句践に自殺を命じられて死んだ。

范蠡は人相だけを指摘しているが、
二十年もの間、共に政事を行う中で、
性格を知り抜いていたのだろう。

彼は持ち運びできる財宝や珠玉などを船に
積み込み、妻子や家臣とともに水路を通って
斉(せい)に行き、姓名を変えて
鴟夷子皮(しいしひ)と名乗った。

子らと共に財産を作り、
その富は数千万にもなった。

このため、彼は斉で能力の高さが評判と
なり、宰相就任を要請された。

范蠡は嘆息して、

「家にいては千金の財を築き、
 官に仕えては宰相に上(のぼ)る。

 平民の身にとって、
 これ以上の出世はない。

 しかし、長い間そうした名誉を受け続ける
 のは禍(わざわい)のもとだ」

彼は斉の宰相の職を固辞し、
築いた財産をことごとく人びとに分け与え、
特別な宝物だけをもって、
ひそかに陶(とう)に移住して、
名を陶朱公(とうしゅこう)と改めた。

すると、ここでも彼は巨万の富を築いた。

あるとき、魯(ろ)の猗頓(いとん)という
者が尋ねてきて、
范蠡に金持ちになる方法を聞いた。

范蠡は、

「それでは、五頭の牝牛を飼いなさい」

といった。

猗頓は言われたとおり、
猗氏(いし)という場所で牧畜に励んだ
ところ、十年の間に、
その財産は王公と肩を並べる程になった。

以来、天下の人々は、金持ちというと、
陶朱と猗頓のことをいうようになった。

軍事、政治、そして商売、
どれをやらせても優れた結果を出した范蠡。

呉を亡ぼした後も句践が范蠡を身近に置き
続けられていたら、越は驚くほどの繁栄を
見せたに違いない。

たった一人、范蠡ほどの人物がいるか
いないかという問題は、
国家の将来に大きく影響するのである。

→続く「リーダーから人が離れていくとき(2)亮の恐怖政治」
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