外戚の専横が目立つようになると、 天子は孤独になる。
なぜならば、政治のことを相談しようにも 周囲には外戚一派ばかりでそれ以外の臣下は
遠ざけられており、だからといって後宮の 女たちに相談するわけにもいかない。
そこで登場するのが
宦官(かんがん)である。
天子はいつでも側にいる宦官を 寵愛するようになった。
東漢の孝和皇帝は、継母の竇(とう)太后と 竇憲(とうけん)ら竇一族の専横に 苦しめられていた。
勢いが強くなった竇憲が謀反を企てたとき、 和帝が相談をした相手が宦官の 鄭衆(ていしゅう)である。
鄭衆と共に兵を整え、 竇憲を自殺に追い込んだ。
これ以来、東漢では宦官の権力が 増していった。
やはり、困ったときに側にいてくれる者には 寵愛を傾けるものである。
→続く「人間が寵愛しやすい順番と傾向(5)玄宗、徽宗と佞臣」 →「十八史略」に学ぶ兵法経営【目次】
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