南北朝時代の北魏では、 孝明(こうめい)皇帝が六歳で即位した
ため、母の胡(こ)太后が国政を 動かすようになった。
ところが、胡太后は淫乱で、自分でも自分の
行為の不謹慎なことに気がついていた。
孝明帝が成長するにつれ、極力、事実を
覆い隠していたが、母と子の溝は日々、 深くなっていった。
そして、ついに胡太后は
孝明帝を毒殺するに至る。
しかし、この後、反胡太后派によって 彼女も殺されてしまう。
女性の場合は、原則的にはわが子を最も 愛するが、みずから権力者となり、 政治の中枢に座った場合に、
お気に入りの男性を子供よりも寵愛する例が 見られるようである。
→続く「人間が寵愛しやすい順番と傾向(4)和帝と宦官」 →「十八史略」に学ぶ兵法経営【目次】
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