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「十八史略」に学ぶ兵法経営【目次】

6.リーダーの条件と承継編

人間が寵愛しやすい順番と傾向(1)項羽と虞美人    


天子の周囲には多くの人間がいるが、
それらを平等に愛するというのは
聖人でなければ不可能である。

天子も人間である以上、
どうしても好き嫌いが出るものだ。

そして、好きな人物とは長い時間を共に
過ごせるので、重要な役職に登用したり、
後継者として太子に任命したりするが、
嫌いな人物は役職を罷免したり、
遠方へ左遷することになる。

人の好き嫌いを考える場合、
多くの天子にとってもっとも大事なのは
女性の存在であった。

いかに好みの女性と人生の時間を共に
過ごすか、ということは、
生き甲斐そのものであったといっても
過言ではないだろう。

西漢の高祖劉邦(りゅうほう)のライバル、
項羽(こうう)は、漢軍に押し込まれて
垓下(がいか)の地まで退却し、
さらに韓信(かんしん)らに激しく
攻められて城壁のなかに立てこもったとき
ですら、側室を連れていた。

虞美人(ぐびじん)である。

ある夜、漢軍は城の四方で、項羽の出身地
である楚(そ)国の歌を歌った。

それを聞いた項羽は驚いていった。

「これはもうダメだ。

 漢はすでに楚の地を手に入れたらしい。
 
 何と楚人(そひと)の多いことで
 あろうか」

項羽は立ち上がり、帳(とばり)の中で
酒を飲みはじめた。

愛する虞美人に命じて舞わせ、
項羽自身も悲しげに歌い、
身の不運を嘆いた。

涙が幾筋も頬を流れ落ちた。

その歌は、

「わが力は山をも引き抜き
 わが気迫は天下を覆い尽くすが
 今は時(とき)利(り)あらず
 愛馬、騅(すい)も進まず
 あぁ、愛しい虞よ、愛しい虞よ
 お前をどうしたらよいのだろう」

騅とは、項羽が常に乗っていた
駿馬(しゅんめ)である。

左右の者は皆泣き、顔を上げる者は
一人もいなかったという。

この後、項羽は城を脱出するが、
漢軍に追われ、最後は自分で首を
かき切って死んだ。

虞美人がどうなったかについて記録は
残っていないが、項羽が城を出る前後に
自害して果てたのではないだろうか。

いずれにせよ、項羽のような剛の者でも
愛する女性を最後まで側に置き、
その女を幸福にできない情けなさを
涙にくれながら歌ったというのは、
多くの男に共通する、生きる目的の
ようなものを感じさせる話である。

項羽にとっては、
戦における勝利も領土を増すことも、
すべて虞美人のためだったのかもしれない。

→続く「人間が寵愛しやすい順番と傾向(2)則天武后と美少年」
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