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「十八史略」に学ぶ兵法経営【目次】

6.リーダーの条件と承継編

承継できるものとできないもの(1)昭王と恵王     


事業承継の際、正の遺産は引き継ぎたいが
負の遺産は引き継ぎたくない、というのが、
承継する者の一般的な考え方だろう。

これらにはどういったものがあるだろうか。

いくつかの事例を見てみよう。

戦国時代、燕(えん)は斉(せい)の陰謀に
より、一度は大きく国の勢力を後退させた
ものの、昭(しょう)王の粘り強い努力に
よって回復した。

それどころか、楽毅(がっき)という名将を
総大将とした、斉・韓(かん)・魏(ぎ)・
趙(ちょう)・楚(そ)の五ヵ国連合軍に
よって斉を攻め、斉を亡ぼす寸前の段階に
まで追い込んだのである。

斉の七十余城を陥落させ、残っているのは、
キョと即墨(そくぼく)のみとなった。

ところが、この段階で昭王が亡くなり、
次の恵(けい)王が即位した。

この段階で承継されているのは、
昭王が約三十年をかけて築き上げた燕の富や
強い兵力、さらに斉との戦いで得た伝来の
財宝祭器など戦利品の数々、燕の群県に
編入された斉の諸城などである。

昭王は、先代のカイ(かい)王から
譲り受けた負の遺産を大きく正にかえて
恵王に譲り渡したのだ。

ところが、恵王はこれを守りきれなかった。

なぜならば、肝心要の将軍楽毅に謀反の疑い
をかけ、遠ざけてしまったからである。

楽毅がいなくなった燕軍は斉軍の攻勢に
敗走し、斉は奪われていた城を
ことごとく奪回したのである。

昭王と楽毅は固い信頼関係で結ばれていた
が、昭王は恵王に、臣下と心の絆を築くと
いう最も大切なことを承継することが
できなかったのだ。

そのため、燕は発展の機を逃し、
恵王の四代後には秦の始皇帝によって
亡ぼされてしまった。

恵王が楽毅を信頼できれば、
燕の未来は違っていたのではないだろうか。

しかし、他人に国のもっとも大事な部分を
つかまれている状態で安心していられる王
というのは滅多にいないだろう。

燕の昭王の場合は、ほとんど国を
亡ぼされたところからのスタートであった
ため、復讐の一念に燃え続けていたことが
幸いしたのかもしれない。

→続く「承継できるものとできないもの(2)劉邦と恵帝」
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