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エピソード集

「孫子の兵法」を駆使したと思われる兵法家のエピソード6

李牧「勝ち易きに勝つ」


李牧の「勝ち易きに勝つ」

強敵には防御を固め、敵に隙が生じるのを待って攻撃する。

【登場人物】

趙(ちょう):将軍 李牧(りぼく)、王
匈奴(きょうど):北方の異民族 王 単于(ぜんう)



趙の将軍、李牧は、趙の北辺防衛で有名となった良将だ。

彼はA地点に常駐して匈奴の侵入に備えた。

必要に応じて軍の事務官を置き、
税金はみな将軍府の収入として、
士卒の経費にあてた。

日に数頭の牛を殺して彼らにふるまうなど、
士卒を厚く待遇した。

弓術と乗馬の訓練を行い、
狼煙(のろし)は正確にあげられるようにさせ、
間者(スパイ)を多くして情報も日頃から収集。

そのうえで軍令を定め、

「もし匈奴が侵入して略奪をはたらこうとしたら、
 急いで家畜をまとめ城内に入れ。
 進んで匈奴を捕えようとする者は斬罪に処す」

と告げた。

このため、匈奴が侵入するごとに狼煙は正確にあがったし、
士卒と民は家畜をまとめて城内に避難し、
あえて戦わなかった。

こうして数年のあいだ、大事な家畜や家財などを失ったり、
士卒を殺されたりということはほとんどなかったのである。

しかし、匈奴は李牧を卑怯者とみなしていた。

また、趙の側の士卒も

「我々の将軍は臆病である」

とささやきあった。

趙王はこれを聞いて

「軟弱だ」

と李牧を責めたが、
李牧はいっこうに方針を変えることがなかったので、
王は怒って李牧を召還し、別人を将軍として派遣した。

それから一年あまり、
趙軍は匈奴来襲のたびごとに城を出て戦った。

負け戦が続き、損害が出ることも多く、
住民たちは田を耕したり、
馬や牛を放牧したりすることもできなくなってしまった。

そこで趙王は、
ふたたび李牧に将軍として赴任することを請うた。

しかし彼は、病気と称して門を閉じ、出てこなかった。

王が無理強いして赴任させようとすると、
李牧は条件を示した。

「王がどうしても私を用いるというのであれば、
 私は以前と同じようにします。よろしいですか」

王はこれを許した。

李牧は着任し、先の軍令を復活させた。
匈奴はまたも数年間、なんの得るところもなく、
あいつは臆病者だと軽蔑することくらいしかできなかった
という。

守ることによって勝ちに等しい状態を作り上げたのである。

しかし、李牧のもとで辺境守備に当たっていた士卒たちは、
厚遇されるのはよいものの、
戦う機会を与えられないので口々に不満を漏らし始めた。

戦うことが仕事であるにも関わらず、
常に敵を避けて引っ込んでいるのだから
腕が泣き始めたのであろう。

李牧は機が熟したとみて、

頑丈な戦車千三百輌、強健な馬一万三千頭、
戦功で多大な褒賞金を与えられるほどの勇士五万人、
弓の名手十万人を選び抜いて軍事演習を行った。

その後、城門を開放。
城外に出た住民は、おおっぴらに家畜を放牧し、
人々は野に満ちた。

意外に思った匈奴が少しそこに戦を仕掛けてみると、
城兵はわざと負けたふりをして逃げ出し、
数千人もの住民を置き去りにした。

匈奴の王、単于(ぜんう)はそれを聞くと、
絶好のチャンスと思ったのであろう、
大軍を率いて侵入を開始した。

まんまと李牧の策にはまったのである。

李牧は誘い込んだ敵を、
配置しておいた伏兵と左右に展開した軍団で攻撃、
匈奴十余万騎を撃ち破ったのだ。

単于は敗走した。

その後十余年にわたって、
趙との国境に近づかなかったという。

もともと単于は長年、李牧の守備を敗れず、
いらだたしく感じていたはずだ。

それが突然、城門が開放され、
攻めても反撃してこないという状況に、
大軍で攻めれば大いに略奪できると確信し、
かさにかかって攻めたのだ。

単于の心に隙が生じたのである。
この隙を撃たれてはひとたまりもなかった。

李牧は十分に兵法を心得た名将であった。

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