覇者の代表は、春秋時代の春秋五覇である。
どの五名かということについては諸説あり、
斉(せい)の桓(かん)公、 秦(しん)の穆(ぼく)公、
宋(そう)の襄(じょう)公、 晋(しん)の文(ぶん)公、 楚(そ)の荘(そう)王、
呉(ご)王の闔閭(こうりょ)、 呉王の夫差(ふさ)、 越(えつ)王の勾践(こうせん)
などが挙げられる。
覇者といっても、最初のうちは南方から 進出してくる蛮族を阻止して周王室を守る、
つまり
「尊王攘夷(そんのうじょうい)」
のために中原諸国が団結したのだが、 その場合の統率者が覇者であった。
ところが、そのうちに周王室を無視して、
蛮族だった楚がみずからを「王」と 呼ぶようになり、 中原に進出して覇者と称するなど、 周王室を守るという目的が
失われてしまった。
そして、ただ力で諸侯を支配するのが 覇者と呼ばれるようになったのである。
王者の代表は、
夏(か)の禹(う)王、 殷(いん)の湯(とう)王、 周の文(ぶん)王または武(ぶ)王
が挙げられる。
→続く「権力者とリーダーの違い(3)湯王の祈り」 →「十八史略」に学ぶ兵法経営【目次】
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