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「十八史略」に学ぶ兵法経営【目次】

2.人間の本質と欲望編(基本)

親子・兄弟(1)天子継承三方式


現代の日本は一夫一婦制であり、
わが子といえば、大抵は自分と配偶者の間に
できた子どものことである。

仮に離婚、再婚を二~三度繰り返したと
しても、できる子どもの数は知れており、
しかも自分と共に暮らすことが多いわけ
だから、やはり愛しい存在となる。

どんなに近く接している他人よりもわが子が
かわいいものだ。

企業経営者で、努力して発展させた自社の
跡取りにわが子をあてようと考える向きも
多い。

社長として苦労を重ねる自分をずっと
見続けてきた人間でもあり、
一概にわが子を後継者に据える行為が
間違いとはいえない。

しかし、能力の無い者を後釜に据える
ことは、自分にとっても子どもにとっても
悲劇となることがある。

中国では、
天子(天帝の子。帝、王などの別号)の
継承には三つの方式があった。

禅譲、世襲、放伐(ほうばつ)

である。

禅譲とは最も徳の高い人間に位を譲ること。
黄帝の子孫であった帝堯(ぎょう)は
儒家において理想の聖人とされている人物
だが、自分の子、丹朱(たんしゅ)が
愚昧であったことから、
聡明な舜(しゅん)に白羽の矢を立てた。

まず、自分の娘二人を舜のもとに嫁がせると
共に、政事でも自分の補佐役を任せたのだ。

その仕事ぶりのすばらしさを天下が
褒め称えるのを見て、堯は舜に帝位を
譲ったのである。

また、舜も子どもの商均(しょうきん)が
愚か者だったので、徳の高い禹(う)に
帝位を継いだ。これが禅譲であり、
理想的な継承法とされる。

世襲とは、親から子、あるいはその他の親族
へ天子の地位を引き継ぐことである。

禹の起こした夏王朝からは世襲が
主となった。

放伐とは革命であり、武力で天子の地位を
奪うことだ。

夏(か)の桀(けつ)王や
殷(いん)の紂(ちゅう)王は
放伐されたわけである。

あまりに残虐非道な人間が天子になると、
最初は耐えている周囲の人々も
やがて武器をもって立ち上がり、
その地位から引きずりおろすという行為に
出るのだ。

多くの場合、天子は正室以外に多くの側室を
持ったので、おのずから子どもの数も多人数
となる。

そこで、その中から特に優れた子どもを
選んで太子(天子継承者)とし、
自分の後の王として指名することができた。

正室の産んだ長男を太子にするという
原則はあっても、いろいろと理由をつけて
他の子どもを太子にすることは可能だった
のである。

若くして天子が亡くなり、
幼少の子どもを天子にせざるをえない場合は
摂政を置くなどの方法で幼い天子を支えた。

摂政は代わりに政務をとりつつ、
天子を育てる役割も果たしたのだ。

その代表例が、殷の紂王を伐(う)った
周(しゅう)の武(ぶ)王の子で幼くして
王となった成(せい)王を補佐した、
武王の弟、周公旦(たん)である。

こういうわけで、父から子へ、
兄から弟へなど、天子を同一の家系内で
継承するのは当然の行為となっていたが、
そこには富と権力がからむので
単純にはいかないことも多かった。

→続く親子・兄弟(2)秦の始皇帝」
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