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「十八史略」に学ぶ兵法経営【目次】

5.富と繁栄編

民心を一つにまとめるには(1)周公旦と太公望      


国が繁栄を続けるには、
民心が一つにまとまって財を生み、
国家を富ませる必要がある。

人民の中心には朝廷という政治を司る
機関があって、ここで天子や政治家が
優れた政治を行えば民心を一つにできる。

優れた政治を行うためには、優れた天子や
優れた政治家の存在が不可欠だ。

優秀な人材を集めること、
あるいは育てることが大切である。

周(しゅう)の御世の初め、
周公旦(たん)は成(せい)王を教え導く
のに、成王が過ちをおかすと、わが子である
伯禽(はくきん)を鞭打って成王を戒めた。

伯禽が魯(ろ)に君主となって赴任する
とき、周公は彼を呼んでこう告げた。

「私は文王の子で、先帝武王の弟であり、
 今の成王の叔父である。

 そのような高い身分にある私であっても、
 自分に面会を求めるものがあると、
 一度髪を洗う間に幾度も髪を握った状態に
 して洗髪を中断し、一度食事をする間に
 幾度も口中の食物を吐き出して
 食事を中断し、すぐに出て応対する。

 そこまでやってもまだ、天下の賢人を取り
 逃がしはしないかと心配しているのだ。

 お前が魯に行ったら、よく気をつけよ。

 国君だからといって、
 決して人民に奢り高ぶってはならないぞ」

また、太公望(たいこうぼう)
呂尚(りょしょう)が斉(せい)に
封ぜられ、その五ヵ月後、周公のもとに
政治の結果を報告に来たときのこと。

周公が、

「どうしてこんなに早く成績をあげることが
 できたのか」

と問うと、太公望は、

「私は斉に行ってから君臣の礼を簡単にし、
 斉の風習に従ったからでございます」


と言った。

これに対し、伯禽は魯に封ぜられた後、
三年も経過してから周公のもとに政治の
結果を報告に来た。

周公が、

「どうしてこんなに遅くなったのか」

と尋ねると、伯禽は、

「従来の風習を変え、君臣の礼を改め、
 服喪の期間も三年にしたため、
 報告に来るのがこんなに
 遅くなってしまったのです」

と答えた。

周公はこれを聞いて、

「後世、魯は北面して斉に仕えるように
 なろう。

 すべて政治は簡単平易なものでなければ
 民は近づくことができない。

 平易にして民を近づければ、民は必ず
 政治を支持するようになるのだが」

周公旦は、高い地位にあっても決して奢る
ことなく、人が面会に来れば、
洗髪や食事をやめてすぐに応対した。

また、政治のやり方にしても、
民が理解しやすい簡単なものにすべきで
あるという考え方を持っていた。

いずれも周公はなるべく相手の気持ちに
沿うようにしていたことが分かる事例で
ある。

太公望は、赴任してわずか五ヵ月で
よい成績をあげることができたという。

成果が早く出たということは、
それだけ国民が一致団結して努力した時期が
早かったことの現れといえるだろう。

→続く「民心を一つにまとめるには(2)斉の威王の宝」
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