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「十八史略」に学ぶ兵法経営【目次】

5.富と繁栄編

  富の本当の活かし方(4) 文帝・景帝・武帝      


西漢王朝の文帝、景帝の御世は
富を蓄積した時代であった。

漢が興ってから、秦の時代に整備された
わずらわしい法令は簡略化され、
官民ともども休息し、太平の世を楽しんだ。

さらに文帝は身を謹み倹約に励んだ。

景帝の代になるまで五、六十年の間は
天下の風俗はすっかり変わり、
人民の生活も安定して国家は無事であった。

人々の心は充実し家は満ち、
都会も田舎も倉庫には穀物があふれていた。

朝廷の財政は豊かになり、
銭蔵(ぜにぐら)には金が有り余って
都に集まる銭は幾億万を重ね、
銭(ぜに)差(さ)し
(銭貨の穴に通して使う、保管または
運搬用の紐)が腐り、
勘定もできぬほどであった。

政府の米倉の穀物には、古々米、古米、
新米とあとからあとから積み重ねられ、
はては倉に入りきらなかったものは外に
露天積みされた。

ついには紅く腐って食べられなくなる
ほどだった。

官吏となる者は子や孫まで養育し、
その職を子孫に代々世襲して、
官職を自分の家の姓として名乗るように
なった。

倉氏とか庫氏と称する者も現れた。

人々は自重して、
法を犯さないようになった。

しかし、そのため自然に法の網が
ゆるやかになり、
人民には金ができたので、
身分を越えた贅沢(ぜいたく)をして
楽しむようになった。

貧乏人の土地を買い占めた富豪連中は、
地方の政治を私物化する者もあった。

また、皇族・諸侯・諸大臣以下、
贅沢ぶりは際限がなかった。

すべて物事は頂点に達したときが
下降のはじまりだ。

これは自然の変化である。

貯める天子が去った後に使う天子、
武帝が即位し、対外積極策をとって
毎年のように戦争を行い、
内政では土木工事を好んだため、
国家財政は次第に逼迫していった。

そうして徴税は過酷になり、
世の中はすっかり不景気と
なっていくのである。

こうなったのは武帝の欲望が原因では
あるが、余っている財を使ってもっと
発展させようという考え方自体は
間違いとはいえない。

武帝の場合、

「人民のために使う」

という視点が欠落していたのが
最大の問題だった。

国でも企業でも個人でも、
富が無ければ集めようとするが、
豊かになると堕落してみずからの欲を
満たすために浪費し、あげくに汲々とした
暮らしを送らざるをえなくなるものだ。

富を得たとき、それを何に使うかに
ついてはよくよく注意しなければならない。

企業では、社長が

「顧客のため」
「取引先のため」

に使うことを忘れさえしなければ、
社員が路頭に迷うような結果には
ならないであろう。

→続く「人が富以外で欲しがるもの(1)魏徴が望んだ報酬」
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