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「十八史略」に学ぶ兵法経営【目次】

5.富と繁栄編

  富の本当の活かし方(2) 人を集める高歓      


南北朝の時代、北魏の主、恪(かく)が
死んで子が即位した。

この子はまだ六歳だったので、母親の
胡(こ)后が代わって政治を動かした。

子は成長しても遊んでばかりで朝政を
かえりみず、
さらに胡后も淫乱で政治は乱れた。

そんな中、権力を握ろうとする将軍側と
近衛兵側の対立が深まり、ついに千人近く
もの近衛兵が将軍の邸宅に討ち入り、
将軍を殺した。

朝廷の人間は恐れおののいて
何もできなかった。

胡后が反乱の張本人八人を捕らえてこれを
斬殺し、それ以外の者は寛大に
放免したので人民は安堵した。

ちょうどその頃、北方の要衝である
懐朔鎮(かいさくちん)から伝令として
洛陽(らくよう)に来ていた
高歓(こうかん)は、
たまたま将軍が暴徒に殺されるのを見た。

彼は家に帰ってから財産を使い果たして
まで手下を抱えはじめた。

ある人がその訳を尋ねると、
彼はこう答えた。

「近衛兵たちが徒党を組んで大臣の邸宅を
 焼いたというのに、朝廷は恐れて責任を
 追及しようとしないのだ。

 政治のあり方がこのようでは
 先々どうなるか心もとない。

 財産などどうしていつまでも守ることが
 できようか。

 使い果たしてでもまさかのときに
 備えることが大切だ」

高歓はその後、北魏の丞相となり帝と
争って北魏を分裂させ、
北斉(ほくせい)の基礎を築いた。

財産とは身を守るためにあると、
高歓は考えた。

お金を貯めるのは、
いつか来る危機を乗り切るためだ。

そして高歓は人を集めることに金を
使った。

結局、自分を守ってくれるのは自分の
味方の人間たちなのである。

この逸話も、

金を人のために使え

と教えている。

→続く「富の本当の活かし方(3)簡子の人心把握」
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