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「十八史略」に学ぶ兵法経営【目次】

5.富と繁栄編

 泣いて馬謖を斬る(1)    公平だった孔明      


「泣いて馬謖を斬る」という言葉は、
三国時代、蜀(しょく)の
丞相(じょうしょう)であった
諸葛亮(しょかつりょう)孔明(こうめい)
が、目をかけていた馬謖を泣く泣く斬罪に
処した故事により、
私情としては忍びなくても公法を重んじて
罰することをいうようになったものである。

魏(ぎ)軍との戦いにおいて、
諸葛亮は要所である街亭(がいてい)の
守将に馬謖を任命し、道筋を押さえるように
命じたが、馬謖はこれに背いて山頂に陣を
敷いた。

その結果、敵に水路を断たれて孤立し、
惨敗を喫したのだ。

命令違反に加えて惨敗した将を生かして
おけば悪しき前例を生み、
法律が軽く扱われるようになると共に、
人民の国に対する信頼感も薄れてしまう。

諸葛亮は一人の命を奪って国家を守る
判断を下したのである。

ただ、諸葛亮は、
馬謖の遺族に対しては手厚く遇した。

諸葛亮が亡くなったとき、
彼によって免職にされてしまった二人の
男が涙を流してその死を嘆いた。

そのうちの一人は悲しみのあまり、
とうとう病床について死んでしまったと
いう。

「三国志」でも、

「諸葛亮はまごころを尽くして、
 公平な政治を行った。

 刑罰や政事は厳正を極めたけれども、
 それを怨む者はなかった。

 政治の仕方を心得た逸材であった」

と述べている。

→続く「泣いて馬謖を斬る(2)車裂きにされた公孫鞅」
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