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「十八史略」に学ぶ兵法経営【目次】

4.戦争と殺戮編

戦に破れるとどうなるか(2) 愛妾の肉を食らう      


唐(とう)王朝の時代、
玄宗(げんそう)皇帝が楊貴妃(ようきひ)
の美しさに惑わされてすきを作り、
安禄山(あんろくさん)と
史思明(ししめい)の二名を中心人物とした
「安史の乱」を誘発してしまった際に、
もっとも壮烈だったのがスイ陽(すいよう)
の地での戦いである。

官軍の守将は張巡(ちょうじゅん)と
許遠(きょえん)である。

二人はスイ陽城にたてこもって守備を固め、
たびたび賊軍を撃退していたが、
食糧がなくなったため、
中には城を放棄して撤退しようという者も
いた。

しかし二人は相談してこう言った。

「このスイ陽城は、長江、淮(わい)水一帯
 を防備する大切な城である。

 もしもこれを捨てたならば、賊軍はきっと
 どこまでも進撃するであろう。

 そうなってしまえばもう、長江、淮水地方
 全体を放棄したのも同然である。

 堅く城を守って救いを待つこと。

 これしか、われわれのとるべき道はない」

食糧が無いので、将兵は茶や紙を食った。

それが尽きると馬を食い、次には雀を
つかまえ、鼠を食ったが、
ついにそれらも尽きてしまった。

それで張巡は、ついに自分の愛妾を殺して
士卒に食わせた。

こうして四万人の守備隊は四百人にまで
減ったが、最後まで背いて敵に降る者は
ひとりも出なかった。

やがて賊軍が城に攻めのぼってきたが、
城中の将兵はくるしみ疲れて戦うことが
できなかった。

張巡は天子のいる西の方に向かって
再拝して言った。

「臣の力は尽き果てました。

 生きながらえて陛下のご恩に報いる
 ことができません。

 このうえは死んで幽鬼(ゆうき)と
 なり賊をとり殺す、
 これしかありません」

スイ陽城は陥落した。

張巡と許遠は捕らえられたが
屈しなかったために殺され、
他の三十六人の将兵も皆、殺された。

敗れる戦とは、
このように悲惨なものである。

逃げ出せばよいようなものだが、
張巡らが逃げれば賊軍に深く攻め入られて、
唐王朝は壊滅的な打撃を受けた可能性が
高い。

愛妾の肉を食らいながらも踏ん張ったから
こそ、この後に官軍が勢力を盛り返し、
賊軍を壊滅することができたのである。

それにしても、
玄宗が楊貴妃にうつつを抜かし、
政事をないがしろにした罪は重い。

企業においても業績が悪化したときこそ、
社内の本当の姿が浮き彫りになるもので
ある。

東晋に敗れた前秦のように、
苦しいときに簡単に経営陣が仲間割れ
したり、社員が続々と辞めたりする会社
であるならば、真の団結は無かったのだ。

皆、金や安定を求めて在籍していただけと
いうことである。

そうではなく、張巡の軍のように

最後まで団結して戦い抜くような企業で
あれば、復活できる可能性が極めて高い。


唐は張巡のおかげで後に逆転できた。

ただ、張巡自身、極めて悲惨な目に遭い、
城内のすべての者も死なせてしまった。

まさに地獄であった。

企業でいえば倒産である。

これだけは何としても避けるよう、
早めに手を打たねばならない。

→続く「戦に勝った後の行動(1)項羽と劉邦」
「十八史略」に学ぶ兵法経営【目次】

 

 

 

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