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「十八史略」に学ぶ兵法経営【目次】

4.戦争と殺戮編

 勝敗を本当に分けるもの(3)作戦面、謝玄


作戦面も重要である。

士気というのは一気に盛り上げることが
できる反面、何かのきっかけで急速に
しぼんでしまうこともあるのだ。

これには作戦の巧拙が大きく左右する。

東晋(しん)王朝の後期、一時、
華北を統一した前秦(ぜんしん)の皇帝
符堅(ふけん)は、中国統一を目指し、
都長安(ちょうあん)を後にして南下した。

その兵力は歩兵六十余万、
騎兵二十七万という大部隊であった。

対する東晋は、
謝石(しゃせき)を征討大都督、
謝玄(しゃげん)を前鋒(ぜんぽう)都督
とし、計八万の兵力で迎え撃った。

前秦の軍は肥水(ひすい)という川の岸に
陣を布(し)いた。

そこで謝玄は一計を案じ、
使者を符堅のところへやって申し入れた。

「貴軍は陣を移して少し退却させ、
 わが軍に川を渡らせていただきたい。

 そのうえで勝負を決しようと思うのだが、
 いかがであろうか」

符堅は東晋軍に川を渡ることを許可した。

半ば渡ったとき、
これを攻撃しようと思ったのである。

ちなみに「孫子の兵法」行軍篇にも、

「客(かく)水を絶(わた)りて来たらば、
 之(これ)を水内に迎うること
 勿(なか)れ、
 半(なか)ば済(わた)らしめてこれを
 撃てば、利あり」

(敵が川を渡って攻めてきた際には、
 これを水内で迎え撃ってはならない。
 半ば渡ったところを攻撃すれば、
 自軍の圧勝となりやすい。)

とある。

敵の半分が上陸し、
残りがまだ水内に留まっているところを
攻撃すれば、敵を分断した格好となり、
こちらが有利となるわけだ。

符堅はこれを狙ったものと思われるが、
謝玄は当然、このような兵法の基礎知識は
頭に入っていたであろう。

符堅は前秦の軍を指揮して少し退却させた。
ところが、前秦軍はいったん後退し始めると
その勢いは止まらなくなり、
なかなか停止しない。

かねて前秦軍の捕虜となっていた東晋の
朱序(しゅじょ)がそれにつけこんで、

「戦は負けた!」

と叫ぶと、前秦軍はとうとう総崩れと
なった。

謝玄らは勝者の勢いで追撃し、
前秦を大敗に追い込んだ。

これが世にいう

「肥水(ひすい)の戦い」

である。

謝玄は、前秦が大軍ではありながら内部の
統率がしっかり出来ていないことなどを
事前に調査して知っていたのだろう。

「川を渡る」

と申し出て符堅に

「しめた!」

と思わせ、全軍後退の指令を出させて、
さらに朱序などと呼応し、敵兵の

「逃げたい」
「助かりたい」

という心に火をつけたのである。

まともに戦ったら、味方の十倍の敵に
勝つのは極めて困難だったが、
謝玄は実に巧妙な作戦を実行して
勝ってしまった。

→続く「勝敗を本当に分けるもの(4)作戦面、虞ク」
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