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「十八史略」に学ぶ兵法経営【目次】

4.戦争と殺戮編

 勝敗を本当に分けるもの(2)勇敢さ、光武帝


また、軍の統率者がみずから先頭に立って
戦うと勢いがつきやすい。

誰もが恐れるような場面で
勇猛果敢な姿を見せると、
兵士も勇気を奮えるものなのである。

東漢王朝を興した光武帝は、
平定後は戦争を嫌ったが、
漢王朝の簒奪者、王莽(おうもう)の
軍との戦いのときなどは
極めて勇猛な将軍であった。

王莽軍の優勢なのを見て、
漢の諸将が逃げ散ろうとしたとき、
劉秀(りゅうしゅう)(後の光武帝)だけ
は、諸陣営の兵をとりまとめ、
みずから歩兵・騎兵千余人の将として、
隊の先鋒(せんぽう)となって進んだ。

そして王莽の軍を敗走させ、
首級数十をあげたのである。

その勇敢なのに諸将は驚いた。

口々に、

「劉将軍は、平素は小敵にあっても恐れて
 いるのに、今、大敵を相手に勇敢に
 戦った。まことに不思議である」

と言い合ったという。

敵が小敵であれば油断しがちなので自分は
恐れて見せ、大敵であれば逆に士卒は
恐れおののくので自分は先頭に立って戦い、
全軍を鼓舞する。

そういう意図があったものと思われる。

五代時代の後周(こうしゅう)の
世宗(せいそう)皇帝もその勇猛さで
全軍に勢いをつけた一人である。

北漢(ほくかん)との戦いで
味方が危機に陥った際、
世宗はみずから親兵を引き連れて、
飛んでくる矢や石をものともせず、
全軍を指揮し、励ました。

これを見て、当時、宮城守護の大将で、
次の宋(そう)王朝を興した
趙匡胤(ちょうきょういん)は、

「陛下がこれだけ危険を顧みずに戦って
 おられるのだ。

 わが軍がどうして命を捨てずに
 おられようか」

と言って、彼自身も真っ先に立って戦った。

すると士卒も死にもの狂いで戦い、
一人で百人に当たらない者はないという
ほどの勢いを見せ、
北漢を大いに撃ち破ったのである。

→続く「勝敗を本当に分けるもの(3)作戦面、謝玄」
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