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「十八史略」に学ぶ兵法経営【目次】

4.戦争と殺戮編

命をかけて戦うべきものと       そうでないものの判断(2)      

 諸葛亮孔明の決断


戦争という手段を選択する場合とは、
それ以外に自国や国民の命を守る方法が
見当たらないときだ。

三国時代、劉備(りゅうび)が亡くなった
後、出来のよくない跡継ぎを補佐しつつ、
蜀(しょく)の宰相としての職務に全力を
傾けていた
諸葛亮(しょかつりょう)孔明(こうめい)
は、漢王朝を再興させるという劉備との
約束を果たすために、いよいよ魏(ぎ)を
伐(う)つべく兵を挙げる決断をした。

出発にあたり、孔明は後(こう)皇帝に
意見書を奉った。

「今、天下は蜀・魏(ぎ)・呉(ご)の
 三つに分かれていますが、
 なかでもわが益(えき)州の地は
 もっとも疲弊しています。

 危急存亡の秋(とき)であります。

 どうぞ陛下には耳を大きく開いて、
 忠義の臣が諫言する道を塞がないように
 していただきたいのです。

 宮中と政府とは一体たるべきもの。

 善を賞し、悪を罰することに違いが
 あってはなりません。

 もし、不正をはたらいたり罪科を犯す者が
 あったり、忠義善良な者があったりした
 ならば、担当の役人に命じて、
 その刑罰恩賞を論じ、それで公明正大な
 政治を天下に明らかにすべきです。

 賢臣に親しみ小人(しょうじん)を
 遠ざけたことが、西漢が興隆した原因で
 あり、反対に小人に親しみ賢臣を遠ざけた
 ことが、東漢の国運を傾け衰退させて
 しまった原因です。

 私はもともと南陽(なんよう)の地で
 農民をしていた一介の平民でした。

 この乱世にあって、どうにか命を
 つなげられさえすればいいと思い、
 諸侯に仕えて名誉や出世を求めようとは
 思っていませんでした。

 ところが先帝(劉備)は、
 私が卑しい身分であることなど気にも
 なさらず、わざわざご自分から高貴の身を 
 屈して、私の粗末な家に三度もお尋ね
 くださり、私に当世の問題について
 お尋ねになりました。

 このことに深く感激した私は、先帝のため
 に奔走することをお約束したのです。

 先帝は私の遠慮がちなことを知っておられ
 ましたので、ご臨終の際、私に国家の大事
 を託されました。

 このご遺命を受けてからこのかた、
 朝早くから夜遅くまで、期待に背いて先帝
 の御名を傷つける結果となることを恐れ、
 心をくだいて努力を重ねました。

 だからこそ、五月には濾(ろ)水を
 渡って、孟獲(もうかく)率いる南中を
 平定するために未開の地に分け入ったの
 です。

 今やすでに南方の地も平定し、
 兵も武器も十分整いましたので、
 これから三軍を励まし率いて、
 北の方、魏を伐(う)ち、
 中原(ちゅうげん)を平定しなければ
 なりません。

 漢の王室を復興し、
 旧都長安(ちょうあん)に凱旋すること
 こそ、私が先帝のご恩に報いて、
 陛下に忠誠を尽くすために私に残された
 責務であります」

諸葛亮が戦争をする理由は、
漢室の復興という先帝との約束が第一で
あった。

しかし、この約束が無かったとしても、
蜀を守るためには魏を伐っておかねば
ならなかった。

諸葛亮が世を去った後の蜀は確実に
弱体化する。

攻められたら滅びる可能性が高いと
諸葛亮は見ていたであろう。

自分が生きている間に、
その脅威を取り除いておく必要があると
考えていたものと思われる。

だからこそあえて兵を起こしたのだ。

しかし、結局はうまくいかず、
諸葛亮の死後、魏にとって換わった
西晋(しん)によって蜀は
滅ぼされてしまった。

戦わずして勝つのが最善策だが、
どうしても戦わねばならないときに
逃げるのは最悪の愚策だ。

孔子(こうし)は、

「義を見て為さざるは勇無きなり」
(正しいか否か、道理から考えてみて
 為すべきことをしないのは、
 勇気が無いということである)

と言った。

諸葛亮は魏に勝つことは難しいと
分かっていただろうが、
先帝との約束、蜀の将来を考え、
勇気を奮って戦う道を選択したのである。

彼は最後まで戦い、
そして戦地の陣営で病没した。

知謀に富むだけでなく、
仁義を貫いた人であった。

命をかけて戦うべきか、そうでないか。

その判断基準はおのずと明らかであろう。

まずは戦争をしないで済むように
徹底的に努力することが大事である。

光武帝は、戦えば勝てるという状況でも
兵を出さなかった。

あえて戦争しなくても平和に暮らせる
からだ。

諸葛亮は勝つのは難しいと分かって
いながらも兵を起こさざるをえなかった。

こちらから仕掛けなければ、
いずれやられてしまうからだ。

戦わなくても自分たちに問題が
生じないならば戦わない

戦わないとこちらが亡ぼされる場合は、
勇気を奮って戦う

 
ということである。

企業においても、
この基準はそのままあてはまる。

なるべく戦わなくてすむような戦略を
採用すべきである。

しかし、成功した場合、まねをする
企業が現れるのが世の常だ。

こちらが好むと好まざるとに関わらず、
競争が起こり、勝つ企業と負ける企業に
分かれるのである。

「戦わずして勝つ」

ことが困難になれば、

「戦いて勝つ」

に方針転換しない限り、
生き残るのは難しい。

戦いは痛みを伴うこともある。

戦争と同じく、トップは熟慮に熟慮を
重ねて決断しなければならない。

→続く「勝敗を本当に分けるもの(1)錦の御旗、劉邦」
「十八史略」に学ぶ兵法経営【目次】

 

 

 

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