ハマモト経営HOME

「十八史略」に学ぶ兵法経営【目次】

3.権力の本質と内部抗争編

   権力を誰に譲るか、   どういうことが起きるか…(2)賢人を選べ


春秋時代、斉(せい)の国に
晏子(あんし)という名宰相がいた。

あるとき、斉の景公が晏子を晋(しん)に
使いに出した際、晏子は晋の
大夫叔向(しゅくきょう)と密談をして、

「わが斉国の政治は将来、
 陳(ちん)氏に移ってしまうであろう」

と予言した。

はたしてその通りになった。

景公の後、
五世を経て康(こう)公に至ったとき、
陳の公子の子孫である田和(でんか)と
いう者が、周の安(あん)王の命を受けて
諸侯となり、康公を海浜に追いやって
そこで死なせたのである。

太公望を祖とする姜(きょう)氏の斉は
滅び、先祖の祀(まつ)りを行う者が
なくなった。

なぜ、晏子は予言できたのであろうか。

田(でん)氏は、もとはギ姓で、かつて
陳(ちん)の厲(れい)公(名は佗〈た〉)
の子にあたる完(かん)の子孫である。

完は陳での政争から逃れるために斉に
亡命した。

そして「陳氏」を名乗ったが、
後にまた改めて「田氏」を名乗った。

完は斉の桓(かん)公に仕えて
工正(こうせい)(土木長官)と
なったが、死んで敬仲(けいちゅう)と
諡(おくりな)された。

謙恭な人物だったようである。

完から五代目が釐子乞(きしきつ)である。

乞は斉の景公に仕えて大夫となった。

乞は人民から年貢を取り立てる際には
小さい枡で受け取り、穀物を人民に
貸し与える際には大きい枡ではかって、
人民に恩を売った。

人気取りのためである。

しかし、景公はこれを止めなかった。

かくして乞は斉の民の人望を得て、
国政を勝手に行うようになったのである。

晏子はこのやり方を見て、
いずれ陳氏(=田氏)にのっとられると
予言したのだ。乞が死ぬと、その子の
成子恒(せいしこう)が跡を継ぎ、
斉の簡(かん)公を殺害し、
その子の平(へい)公を即位させた。

田氏の権力はきわめて大きく、田氏の
知行は平公の領地よりも広大であった。

成子恒が死ぬと、
襄(じょう)子盤(ばん)が跡を継ぎ、
晋の家老である韓(かん)・趙(ちょう)
・魏(ぎ)の三家と使者をやりとりした。

三家は主家の晋を乗っ取ろうとし、
田氏も主家の斉を乗っ取ろうとして
いたからであろう。

田氏は荘子白(そうしはく)を経て
太公和(たいこうか)に至り、
ついに周の安王の命によって諸侯となった。

今の日本でも政治家は国民からの支持率を
気にするが、大昔の中国でも民衆に
支持されることは重要なことだったと
わかる話である。

しかし、人気のある者が必ずしも政治家と
して優秀とは限らない。

田氏は国民のためではなく、自分の
権勢拡大のためにわざと人気が出るよう、
年貢の取り立て用と穀物貸与用の枡を
変えた。

景公がこれを許したことがきっかけとなり、
姜氏を没落させてしまったのである。

しかし、景公だけを攻められない。

大本には斉の初代君主、
太公望(たいこうぼう)呂尚(りょしょう)
の思想があったとも考えられるのである。

周(しゅう)の武(ぶ)王が殷(いん)の
紂(ちゅう)王を倒したときの立役者で
ある太公望は斉に封ぜられて後、
周公旦(たん)と以下の問答を交わしている。

あるとき、周公が太公望に尋ねた。

「どのようにして斉を治めておられるか」

太公望は答えた。

「賢人を尊び、功労者を重んじて起用する
 ようにしております」


この回答に周公は疑問を呈した。

「そのようでは後世、
 君主を弑(しい)して簒奪(さんだつ)
 しようとする臣下が現れるのではないか」

太公望が周公に尋ねた。

「では、どのようにして魯を治めて
 おられますか」

周公は答えた。

「賢人を尊び、親族を重んじて
 起用するようにしています」


今度は太公望が疑問を呈した。

「そのようでは後世、国が弱体化する
 のではないでしょうか」

斉で田氏が勢力を誇るようになったのは、
太公望以来の能力主義的な人材登用の
結果といえなくもない。

いみじくも周公が心配したとおりと
なってしまったのである。

では、魯はどうであったかといえば、
大国となった斉に比べ、
いつまでも小国のままであり、
発展したとは言い難い。

周公以来の古い礼制を受け継ぎ、
孔子を輩出するなどの点はあったものの、
公室の親族の中から三桓(さんかん)氏
(孟孫〈もうそん〉氏、
叔孫〈しゅくそん〉氏、季孫〈きそん〉氏)
が権力を握り、
魯公は飾りものにすぎなくなってしまった。

権力を誰に譲るか。

「こうすべき」という明確な答えは無い。

ただ、周公と太公望で共通しているのは、
賢人を用いるという点である。

賢人とは聖人についで徳のある人物と
いう意味だ。

己の欲を捨て、公のために尽くす人物。

功労者であるか、親族であるかということの
前に、この点を最重視して
人選をすべきであろう。

先の李徳裕のいう「正しい人物」も同じと
解される。

企業でトップに立つ者の最も重要な仕事は、

次のトップに賢人を選ぶ

ことなのである。

→続く 4.戦争と殺戮編「命をかけて戦うべきものとそうでないものの判断(1)光武帝の『柔よく剛に勝つ』」
「十八史略」に学ぶ兵法経営【目次】

 

 

 

inserted by FC2 system