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「十八史略」に学ぶ兵法経営【目次】

3.権力の本質と内部抗争編

すり寄ってくる者とその方法(2)趙高の策略


すり寄る者たちは、すり寄りやすい相手を
選ぶことが多い。

苦労を重ね、努力によって権力を握った者
は人を見る目が鋭く、こちらの狙いを
見抜いてしまう可能性も高いのだ。

不用意に近づくとかえって危険である。

それに対して苦労知らずのお坊ちゃん皇帝
などは格好の餌食だ。

なるべく馬鹿な方がよい。

秦(しん)の始皇帝(しこうてい)が
儒者を中心とした学者たち四百六十四人を
生き埋めの刑にした際、
長子の扶蘇(ふそ)は父を諫めた。

「あの書生らは、皆、聖人孔子の言葉を
 手本としています。

 今、陛下は法を重くして彼らを処分して
 しまわれました。

 私はこれから天下が乱れるのではないか
 と心配いたします」

怒った始皇帝は、扶蘇を蒙恬(もうてん)
軍の監督という名目で、北方の
上郡(じょうぐん)の地に追いやって
しまった。

しかし、始皇帝は死を目前にして、
後継者に扶蘇を指名した。

「史記」によれば、扶蘇に宛てた遺書には、

「すぐに咸陽(かんよう)に帰り、
 我が遺骸を迎えて葬儀を執り行え」

とあったという。

この書簡は、始皇帝に付き従っていた宦官の
趙高(ちょうこう)と丞相の李斯(りし)に
よって握りつぶされた。

趙高は自分が寵愛を受けていた、扶蘇の弟の
胡亥(こがい)を即位させたいと考えたので
ある。

そうすれば自分が権力者となり、国を意の
ままにできる。

趙高は丞相の李斯を抱き込み、
胡亥を即位させた。

そうして扶蘇にはにせの手紙を送り、始皇帝
からの命といつわって自害を命じた。

その後、胡亥に先代からの旧臣を
粛清(しゅくせい)し、
信頼できる人物を登用するよう進言。

胡亥はこれを受け入れ、法律を厳しくして、
自分の兄弟や皇族、大臣を処刑した。

この過程で趙高の権限は
ますます強くなっていく。

ついには丞相の李斯も趙高のワナにはまり、
処刑されてしまう。

李斯はもともと、胡亥を即位させることには
反対だった。

始皇帝とともに秦帝国を創建した李斯は、
始皇帝の命の通りに扶蘇を即位させたかった
のである。

しかし、

「もしもそうなれば、あなたは今の地位を
 保てない。

 いや、それどころか子孫にまで
 禍(わざわい)が及びますぞ」

と趙高に脅され、仕方なく従ったのだ。

今、旧臣を粛清したり、始皇帝の事業を
再開したりで国が乱れ、あちこちで反乱が
起きるようになった。

李斯はこの状態を憂い、胡亥に直接、
意見を述べる機会を伺っていた。

胡亥に会えなくなっていたのである。

胡亥がまだ若く、政治面での決裁を間違う
可能性があっては皇帝としての未熟さを
示すことになる、という理由から、
趙高は胡亥に、臣下の前に姿も見せず、
声も聞かせないように言い伝えていたから
である。

胡亥の政務における相談相手は
趙高のみとなっていたのだ。

あるとき、胡亥は大奥の女たちを侍らせ
酒宴を楽しんでいた。

趙高は、わざとそのときに人をやって、
李斯に、

「今ならよろしかろう。
 意見を申し上げるがよい」

と伝えた。

そこで李斯は拝謁を願い出た。

胡亥は立腹して、

「私は暇な日が多かったのに丞相は
 来なかった。

 せっかく酒宴をして楽しんでいる
 ところにわざわざやって来るとは
 どういうことだ」

趙高が言った。

「丞相の長男の李由(りゆう)は、
 三川(さんせん)郡の太守でありながら、
 どうも盗賊と気脈を通じている様子が
 あります。

 そのうえ丞相は朝廷内で陛下をしのぐ
 権勢をふるっております」

胡亥はこれを真に受け、李斯を役人に
引き渡して牢に入れ、入れ墨、鼻切りなどの
五刑をことごとく加え、最後に
咸陽(かんよう)の市中に引き出し、
腰から真っ二つに斬ってしまった。

獄から出て刑場にのぞむとき、
李斯は次男の方に向かって言った。

「お前とまた猟犬を連れ、
 上蔡(じょうさい)の地の東門を出て
 兎狩りをしたいと思っても、
 もうできなくなってしまったなぁ」

父子は共に大声をあげて泣いた。

そうして、父・母・妻の三族は
皆殺しとなった。

趙高は、秦の権力を独占しようと思ったが、
臣下のうちで自分の考えに逆らう者が
いるのではないかと心配した。

そこであるとき、臣下を試すことにした。

鹿を胡亥に献上して、

「これは馬でございます」

と言った。胡亥は笑った。

「思い違いをしておるぞ。
 鹿を指して馬と言うとは」

左右の者に尋ねると、ある者は黙り、
ある者は鹿だと言った。

趙高は、鹿だと答えた者どもを法律に
当てて厳罰に処した。

これから後、臣下のひとりとして、
趙高を批判する者はなくなった。

趙高はたびたび胡亥に向かって、

「反乱は盗賊の類であって
 たいしたことはありません」

と、奏上してきたが、たびたび秦の兵が
敗れるようになり、
そうとばかり言えなくなってきた。

胡亥が怒り、責任をとらされる恐れがある。

趙高は女(むすめ)婿(むこ)にあたる
閻楽(えんらく)に胡亥暗殺を命じ、
望夷(ぼうい)宮で殺させた。

趙高は、公子の子嬰(しえい)を
立てて秦王とした。

子嬰は胡亥の兄、扶蘇(ふそ)の子である。

子嬰は王位に立つと、
趙高の三族を皆殺しにした。

子嬰は趙高の真の姿について
情報を得ていたのである。

趙高は、まず胡亥からの信用を獲得した。

早くから自分が教師として胡亥に訴訟や
裁判を教えたという経緯もあり、
これは比較的簡単だったろう。

そうしておいて、胡亥が二世皇帝に
即位した後は胡亥への情報を遮断し、
政事面において胡亥が接触できるのは
趙高のみという環境を作った。

胡亥は完全に趙高のロボットと化し、
誰も趙高に背ける者はいなくなり、
思うがまま権勢をふるったのである。

ただ、すり寄るだけでは、
よほどの馬鹿でない限り疑うだろう。

権力者を思うままにあやつる者は、
信用させるための言動が巧みなのである。

企業経営においても、社長には内外から
多数の者がすり寄ってくる。

果たして信用できる相手なのかどうか、
しっかりと見極めることが重要だ。

→続く建前と本音の見極め(1)李克の人物鑑定法」
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