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「十八史略」に学ぶ兵法経営【目次】

2.人間の本質と欲望編(基本)

欲望を制御するものと方法(3)名宰相管仲


春秋時代、初めて覇者となった
斉(せい)の桓(かん)公であったが、
これができたのは名宰相管仲(かんちゅう)
によるところが大きかった。

周の文(ぶん)王は太公望を尊んで
師尚父(ししょうほ)と呼んで父として
尊敬したように、桓公は、

一にも仲父(ちゅうほ)、二にも仲父

と言って、管仲を大切にした。

管仲が危篤に陥った際、桓公は見舞いに
行って相談した。

「その方に万一のことあれば、臣下のなかで
 誰を大臣にしたらよかろうか。
 易牙(えきが)はどうか」。

「易牙は、わが子を殺してその肉を
 君にすすめました。これは人情に背いた
 行為です。近づけてはなりません」

「では、開方(かいほう)はどうか」

「開方は親にそむいて君の
 思(おぼし)召(め)しに適おうと
 した者で、これも人情に背いています。
 近づけてはなりません」

開方はもと衛(えい)の国の
公子(こうし)で、
斉に逃げてきたのであった。

「では、豎(じゅ)チョウはどうか」

「豎チョウは、出世のため自ら去勢して
 君に取り入った者です。
 これも人情に背いています。
 近づけてはなりません」

そう言い残して管仲は死んだ。

桓公は管仲の進言を採用せず、
ついに三人を近づけ、側近に登用した。

この結果、三人が権力をほしいままにした。

桓公の妾のなかで、夫人同様の待遇を
得ている者が六人あったが、
どの者にも子があった。

桓公が亡くなると、
五人の公子が後継者争いを繰り広げた。

桓公の死体は寝台に横たえられ、
着物も着せられず棺にも納められず、
六十七日も放置されたのであった。

やがて蛆(うじ)がわき、
戸外にまで這(は)い出すほどであった。

管仲が生きていたら、
こうはなっていなかったに違いない。

逆に言えば、
桓公が覇者になったという事実からすると、
このように欲望の多い人物でも、
優秀な人間を側において
言葉に耳を傾けていれば
優れた結果が出せるということである。

→続く欲望を制御するものと方法(4)学ぶ姿勢」
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