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「十八史略」に学ぶ兵法経営【目次】

2.人間の本質と欲望編(基本)

富・財宝(1)滅びへの道


豪華な邸宅に住み、高級車に乗り、
ブランド物のスーツを着て、
数百万円もする時計、バッグを持ち、
超一流レストランで食事を楽しむ
優雅な生活。

こういった暮らしにあこがれている
経営者は少なくないだろう。

つらい社長業をやっているのも、
すべては富裕層としての暮らしを送るため、
という人もいるかもしれない。

確かに、豪奢(ごうしゃ)さは
人を引き寄せるので、事業を行ううえで
プラスになる面はある。

しかし、それ以上に危険人物や甘いワナを
引き寄せる度合いの方が大きいのである。

南北朝時代。

南朝の陳(ちん)の五代目天子であった
後主(こうしゅ)(最後の君主の意)
長城煬公(ちょうじょうようこう)は、
太子であった時から、
東宮(とうぐう)詹事(せんじ)
(皇太子の居場所の長官)の
江総(こうそう)を相手にして、
昼夜飲み続けの酒宴に耽っていた。

即位するや否や、
さっそく宮中に臨春閣(りんしゅんかく)、
結綺閣(けっきかく)、
望仙閣(ぼうせんかく)
と名づける三つの高殿を新築した。

その高さはそれぞれ数十丈(じょう)
(当時の一丈は約百八十センチメートル)
で、数十にのぼる部屋のすべてを香木で
作り、金や玉や、真珠や翡翠(ひすい)
などの宝石で飾り立ててあった。

真珠の簾(すだれ)、
宝玉をちりばめた衝立(ついたて)を
はじめとして、
衣服や道具は見事なものばかりで、
そのすばらしさは例を見ぬほどである。

周囲には石を積んで山を作り、
水を引いて池を作り、
さまざまな草花を植えた。

後主自身は臨春閣に居り、
貴妃(きひ)の張麗華(ちょうれいか)は
結綺閣に、キョウ、孔(こう)の
両貴嬪(きひん)は望仙閣に住み、
閣と閣との間には二層の廊下が設けられ、
行き来した。

貴妃、貴嬪は、
共に皇后につぐ位の夫人である。

江総は宰相補佐という重職にありながら、
政務にたずさわろうとせず、
毎日、孔範(こうはん)らの文人とともに
後主を囲み、奥御殿での酒宴の席に
はべっていた。

当時、これを狎客(こうかく)
(たいこもち。おべっか使い)といった。

後主は、もろもろの貴嬪と狎客たちに
詩歌のやりとりをさせて楽しんだ。

こうして、君臣が盛んに酒を飲み、
歌を歌う宴会が夜通しで行われていた
のである。

こんな具合なので、宦官(かんがん)と
近習(きんじゅう)とが通じ合い、
帝の一族も外戚も勝手な振る舞いをし、
賄賂(わいろ)も公然と行われた。

孔範は貴嬪と兄妹のちぎりを結び、
権力を後ろ盾にして

「わが文武の才能は朝廷中で一番である」

とまで思い上がるようになった。

将軍に少しでも過失があるとすぐに解任する
などしたため、文官も武官もまったく
機能しなくなり、滅びへの道をまっしぐらに
進んでいた。

そこへ隋(ずい)が
、晋(しん)王楊広(ようこう)
(のちの隋帝煬帝(ようだい))を
総指揮官として攻め込んできた。

陳は簡単に滅んでしまったのである。

→続く「富・財宝(2)煬帝の失敗
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