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「十八史略」に学ぶ兵法経営【目次】

8.時代を読む先見と行動編

激動の時代に現れるチャンスと見つけ方(5)秦檜の評価

和議が成立した年、金はかつて奪い取った
南宋の地を一部返還し、良好な関係が
構築できるかに見えた。

ところが、金側で和議を主導した撻辣が
失脚して誅殺されると、金では主戦派の
兀朮(こつじゅつ)が主導権を握り、
せっかく成立した盟約をわずか一年で
破棄してしまったのである。

またもや金軍は南宋に侵入した。

これに対して南宋軍は、劉錡(りゅうき)、
岳飛(がくひ)などの大将がよく戦い、
金軍の兀朮を追い詰めたものの、あと少しと
いうところで宰相の秦檜(しんかい)が
大将たちを戦場から呼び戻したので、
なかなか討ち果たすことができなかった。

秦檜はなんとしても和議を結びたかった
のである。

兀朮は秦檜に手紙を送って、

「あなたは朝となく夕となく和を請うてくる
 が、そちらの大将の岳飛は現に
 河北(かほく)を狙っているではないか。

 岳飛を殺せば和議もよい。

 そうでなければ和議など思いも寄らぬ
 ことであるぞ」

といってきた。

ちょうどそのとき、岳飛の成功を妬んでいる
張俊(ちょうしゅん)が岳飛を罪に陥れた。

岳飛は捕らえられ、
獄に入れられたのである。

秦檜は上奏し、岳飛とその配下の武将、
岳飛の子らを誅殺した。

これによって金との和議が成立した。

秦檜については評価が二分しているようだ。

彼を常に金側の立場でものごとを進めた
売国奴であると考えるか、現実を直視して
和議を進めた平和主義者と評価するか、
の二つである。

金の講和派であった撻辣が亡くなったあとも
最後まで和議推進を貫いた点を見ると、
私には秦檜が単なるスパイであったとは
思えない。

秦檜は、二帝(徽宗・欽宗)と共に金へ
行って生活し、撻辣のもとで参謀として
軍事の仕事に携わったが、
そこから得た情報で、金の軍隊がかなり
強力であり、南宋が主戦論で突き進むと
最終的にはかなりの打撃を被り、
滅亡の危険があると考えたのでは
ないだろうか。

また、事実上、二帝や高宗の愛する正妻が
人質として金に捕らわれており、殺される
可能性があることも、彼に和議締結路線を
徹底させたのかもしれない。

結果として、金と南宋の間につかの間の
平和が訪れたことも事実である。

戦国時代に各国を遊説して回った蘇秦、
張儀も、南宋で講和派を貫いた秦檜も、
いずれも自分の目で周辺の状況を見ている。

その結果、一般の人々には思いもつかない
ようなチャンスの芽を見つけ、
それを確実につかむための策を考え、
行動を起こしているのだ。

激動の時代には、変化している現場の
情報を直(じか)につかむこと
 
が絶対に欠かせない。

他人の意見や感想を鵜呑みにせず、
自分の目と耳、手足を使って
感じとることである。

それを出発点とすべきだ。

→続く「先が見えない時代のリーダーの資質…(1)未来を切り拓く」
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