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「十八史略」に学ぶ兵法経営【目次】

8.時代を読む先見と行動編

激動の時代に現れるチャンスと見つけ方(4)固定観念は亡国の基

翌年、宰相となった秦檜(しんかい)だった
が、南宋の臣下に弾劾する者がいた。

「秦檜は専(もっぱ)ら金との和議を
 主張して、宋の領土回復の遠大な計画を
 阻止する者だ」

それで秦檜は罷免されるが、
しばらく後に再び召されて復帰した。

主戦派が軍功をあげながらも仲間割れして
対立を深める中、紹興(しょうこう)九年
(西暦千百三十九年)、和議を成立させた。

金との講和に反対した歴史編修官は
上書してこう述べている。

「陛下が一度、金に対し膝を屈して、
 この屈辱的な条件を認められたならば、
 宋の宗廟(そうびょう)
 社稷(しゃしょく)はその霊までもが
 夷狄(いてき)に汚され、祖宗以来の
 赤子(せきし)(人民)はことごとく
 襟(えり)を左前にする夷狄の風俗と
 なり、朝廷の宰相や執政は皆、
 夷狄の陪臣(ばいしん)(臣下の臣)と
 なってしまうでしょう。

 山犬や狼のように貪欲な金人は、
 金が傀儡(かいらい)国家であった
 斉(せい)の皇帝、劉豫(りゅうよ)を
 突然、廃したような無礼をわが国に
 加えないとは限りません。

 無知な子供でも、犬や豚を指さして
 拝みなさいといえば、
 むっとするでしょう。

 まして堂々たるわが国の朝廷が、
 上下そろって犬や豚同然の夷狄を
 拝もうとしておられます。

 これは児童や幼児でも恥ずかしく思うの
 ではないでしょうか。

 君命を奉じて金への使者となった
 王倫(おうりん)は金の使者を誘って
 南宋へ戻り、南宋を招き諭すとのこと。

 我らを臣や妾(めかけ)にしたいと
 考えているのです。

 執政の孫近(そんきん)は、
 秦檜に同調しています。

 私は道義的に、秦檜らと共に天を
 いただくことはできません。

 どうか、王倫、秦檜、孫近の三人の首を
 切って、これを竿(さお)の先につけて
 野蛮人の居留区にさらし、
 そのうえで金の使者を縛り、無礼を責め、
 彼の罪を問う軍隊を興していただくように
 お願いいたします。

 わが南宋全軍の士気は、戦わないうちから
 自然と平素の倍に高揚するでしょう。

 もしも私の意見を採用してくださらない
 のであれば、私は東海に飛び込んで
 死ぬのみでございます。

 どうして金の言いなりになる小朝廷に
 身を寄せて生きながらえることが
 できましょうか」
 
書が上(たてまつ)られると、
高宗は怒って歴史編修官を遠地へ
追いやった。


この申し立てから、人々がいかに
夷狄(いてき)を蔑(さげす)んでいたか
が分かる。

夷狄は山犬や豚と同じなのだ。

同じ人間だという意識はまったくない。

南宋の人々にこのような固定観念が
あったとすれば、亡びて当然である。

→続く「激動の時代に現れるチャンスと見つけ方(5)秦檜の評価」
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