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「十八史略」に学ぶ兵法経営【目次】

8.時代を読む先見と行動編

人を魅きつけて力をつけていく行動(4)趙匡胤の人材登用

太祖はまた、人材の登用にも熱心だった。

徳行のある者、親孝行の者などを直ちに
官吏に任用したり、太祖みずから臨時の
試験を課して埋もれた人材を発掘したり、
科挙制度でも進士(しんし)の合格者の
姓名を木の札に書いて掲示したり、
再試験の方法を厳しくしたり、
講武殿(こうぶでん)に行幸して
みずから試験を課すなど、
種々の改革を加えた。

また、書や文章の作成に優れた者にも
登用試験を行った。

また、太祖はたびたび国士監(こくしかん)
〈国立大学〉に行幸して学生の勉学状態を
視察したり、天下に詔(みことのり)して
世に埋もれた珍書の発掘に努めたりした。

和ケン(わけん)という者の作曲した雅楽を
採用し、劉温叟(りゅうおんそう)という者
の献上した
「開宝通礼(かいほうつうれい)」
二百巻を世に広めた。

さらに太祖は宰相に命じて、毎日、
日々の政治の動きを記録させ、
これを講史(こうし)館に送って、
日暦を編纂させた。

こうして制度も典章もことごとく
整えていったのである。

宋の太祖、趙匡胤は人を魅きつけた。

彼は、人民には温かく接し、
敵国の者も降参してきたら厚く遇するなど、
人情味が厚かった。

また、優秀な人材を自分の目で確かめ、
登用すべく、みずから試験官となって
面接をした。

高級官僚にする人材を皇帝が
自分で選べるようにしたのである。

一方で、
朝廷をおびやかす節度使については、
上手に骨を抜いて支配下に置いた。

節度使の力を弱めることで、
相対的に皇帝の力を強めたのだ。

趙匡胤はもともと軍人であった。

しかし、自分の文の能力を生かし、
シビリアンコントロール
〈文民統制(ぶんみんとうせい)〉
の体制を作り上げた。

彼のようにすればすべての情報は
皇帝のところに集まるようになる。

仮に不満分子が謀反を起こそうとしても、
たちまちにして情報をつかみ、
つぶしてしまうことができただろう。

大波乱の時代こそ、
このような体制を作り上げたいものである。

→続く「激動の時代に現れるチャンスと見つけ方(1)蘇秦の合従策」
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