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「十八史略」に学ぶ兵法経営【目次】

8.時代を読む先見と行動編

人を魅きつけて力をつけていく行動(3)趙匡胤の統治法

北宋の前に短命政権が続いた大きな要因は、
各地の節度使の権限が大きいことにあった。

そこで太祖は、各地の節度使を罷免し、
専ら文官を任用して節度使の横暴が
起きないように改革した。

また、諸州には通判(つうはん)という
副長官を置いて、長官の権限を分割した。

この結果、諸侯は弱体化し、
内乱が起こらなくなった。

他方では民力の向上につとめ、
人民が貢物を献上するのをやめさせた。

また、州県からの剰余金の献納を厳禁して、
税を過酷に徴収する悪徳地方官が
のさばらないようにした。

このようにむだな費用の発生を抑えつつ、
自分自身も洗いざらしの着物を身につけ、
宮中の簾(すだれ)も青色の布で
縁取りする倹約ぶりであった。

晩年の太祖は読書を好んだが、
あるとき、しみじみと嘆息していった。

「古代の聖帝、堯(ぎょう)や舜(しゅん)
 の時代には、有名な四人の悪人
 〈共工(きょうこう)、
  驩兜(かんとう)、
  三苗(さんびょう)、鯀(こん)〉
 の罪ですら追放処分ですませている。

 それに比べると、近代の法律の網の目の
 何と細やかになったことか」

太祖が諸国を攻撃する際には、必ずまず
使者を遣わして入朝を勧誘させた。

それでも入朝しない場合に初めて
討伐の兵を差し向けたのである。

相手が降伏したら誅殺せず、
それ相応の礼遇をして、
無事にその生涯を終えさせた。

内部の役人に対しては、民間の田地を
測量して不正を働く者があれば、
杖(つえ)打ちの刑か流罪(るざい)に
処した。

諸州に旱魃(かんばつ)や
蝗虫(いなご)の害が起こると、
餓えた者に食を恵み、
租税を免除するなどして、
ただ行き届かぬことを恐れるばかりだった。

→続く「人を魅きつけて力をつけていく行動(4)趙匡胤の人材登用」
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